「この人、本当に、ここまでサービスが必要なのだろうか?」
ケアマネをしていると、1度は、立ち止まる瞬間があると思います。
特に、自社の訪問介護・訪問看護が多く入り、生活が支援で隙間なく埋まっているケース。
これは、ケアマネ個人の倫理やモラル等で語られがちですが、実際はもっと複雑で構造的な問題があります。
♦サービスが必要なのではない。サービスをやめられる人が必要なのだ
ー不要なサービスは、悪意からではなく構造から生まれるー
ケアマネが怖いのは、事故や急変以上に「後から問われる」事です。
トラブルや転倒が起きた時に、聞かれるのはこの言葉。
「何故、サービスを入れていなかったのか?」
逆に言えば、サービスだけ入れておけば「やる事はやっていた」と説明が出来ます。
結果、サービスは少しずつ、本人の為ではなく、ケアマネ自身を守る為の保険になっていきます。
ーサービスが増えたのではない。入れない理由を語れなくなっただけであるー
自社の訪問介護・訪問看護。
自社のサービスは、回しやすい。これは、現場で仕事をしている人程、わかる話です。
★連絡が早い
☆方針が共有しやすい
★トラブル時に動かしやすい
しかし、その結果、判断軸が少しずつズレていきます。
本人にとって必要かではなく、ケアマネ業務として回しやすいか。
ここにも悪意は、ありません。
ーケアマネが営業を背負った瞬間、支援は判断ではなく、配分となるー
そして、避けて通れないのが、経営の現実です。
あまり語られませんが、とても重要な部分です。
9割以上の居宅介護支援事業所(ケアマネ事業所)は、ケアマネの報酬だけでは、人件費を賄う事が出来ません。
★ケアマネの基本報酬は、低い
☆1人の人にどれだけ時間と労力を使っても、報酬は同じ
★紹介料等を貰う事は、禁止されている
その結果、どうなるか?
ケアマネは、自社の訪問介護・訪問看護・デイサービス等を利用させる為の入り口となります。
経営者や訪問介護・訪問看護の同僚から、直接的ではなくても、こんな空気が回ってきます。
★自社に回してほしい
☆過剰でもサービスを組み込んでほしい
★数字が厳しい
これは命令ではなく、経営上の期待です。
しかし、現場においては、この期待が、確実に判断に影響します。
ここが1番苦しい所。
ケアマネは、自社の訪問介護・訪問看護が必要でない事をわかっていて入れている場合が、あります。
★本当は、いらないとわかっている
☆でも入れないと、会社が回らない
★自分の給料も、同僚の生活も掛かっている
この時、ケアマネは専門職と組織人との間で、引き裂かれます。
そして、多くの場合「仕方がない」と折り合いをつけていきます。
ー不要なサービスとは、誰も悪くないまま増えていく支援であるー
さらに追い打ちをかけるのが、家族の不安。
「何かあったら、どうするんですか?」
この一言に、事故リスク・クレーム・経営・責任、全てが重なります。
結果、サービスは支援というより、不安を抑える為の処方になっていきます。
これらの結果、何が失われるでしょうか?
生活は、整います。
事故のリスクも、下がるかもしれません。
でも同時に、本人から少しずつ奪われていくものがあります。
★考える余白
☆選ぶ余白
★失敗する余白
気付けば本人は「生活の主体」ではなく「サービスの利用者」になっていきます。
♦余白は放置ではない。最も高度な介入である
ー余白を奪わないことは、優しさではなく、覚悟であるー
私は、いつも自分に問いかけています。
「これを入れる事で、本人からどんな余白が奪われるか?」
サービスは生活を守る力を持つ一方で、人生を止めてしまう力も持っています。
だから、私は、サービスで人生の余白を奪う事はしません。
誤解されがちですが、余白を残す事は、支援をしない事ではありません。
☆見守る
★待つ
☆変化を読む
いずれも、高度な専門職の判断です。
ただ、これは書類に書きにくく、説明に時間が掛かり、経営的にも評価されにくいです。
だから、サービスで埋める方が楽なのです。
不要な自社のサービスが入る背景は、ケアマネ個人の倫理・モラルだけではありません。
★責められやすい制度
☆成り立ちにく報酬体系
★経営を背負わされた現場
これらが、背景にあります。
必要なのは「誰かを責める」事ではありません。
「何故今はサービスを入れないのか」を語れる言葉であると思います。
サービスで、生活を完成させない事。
人生が動き続ける余白を、奪わない事。
これは、きれいごとではありません。
これが、本来のケアマネジメントの姿です。