プライドではなく恐怖ー本当に強い人は、なぜ謝れるのかー
ーー人は、謝れないから弱いのではない。
誰にでも、恐れはある。
失うことが怖い。否定されることが怖い。価値を失うことが怖い。
だから、謝れなくなる。
けれど、本当に強い人とは、恐れがない人のことではない。
恐れを抱えたまま、それでも「申し訳ありませんでした」と言える人だ。
謝罪とは、強さの反対側にあるものではない。
謝罪とは、強さの先にあるものなのかもしれないーー。
♦謝れない人の奥にある恐怖と、本当の強さ
人は、いつから謝れなくなるのでしょうか?
子どもの時には言えた「ごめんなさい」が、大人になる程、難しくなるーー
★医師
☆弁護士
★経営者
☆年配の男性
ーー社会的な地位が高いとされている人、経験が豊富とされている人程、何故か謝罪をしない傾向があります。
勿論、全員ではありません。
しかし、明らかに非があるような場面でも、説明を続ける人がいます。言い訳を続ける人がいます。
そして、最後まで「申し訳ありませんでした」の一言が出てこない人がいます。
私達は、そんな人を見ると「プライドが高い人だ」で、片付けてしまいます。
けど、本当にそうなのでしょうか?
もし謝れない理由が傲慢さではなく、もっと人間的な弱さから生まれているとしたらーー。
今日は「謝れない人」と「本当に強い人」の違いについて、考えていきます。
ーー人は、何よりも自分自身が信じてきた自分が揺らぐことを、怖く感じる。
だから、人は説明をする。
理由を語る。言葉を重ねる。時には、謝罪する立場にも関わらず、相手を責めてしまう。
その言葉の奥にあるのは、傲慢さではなく、崩れてしまうことへの恐れなのかもしれない。
医師も、弁護士も、経営者も、年配の男性も、長い時間を掛けて、責任を背負い、期待に応え「間違えてはいけない立場」を生きてきた。
だからこそ、自分の間違いを認めることが、難しくなるーー。
ー謝れない人の奥には、プライドではなく恐怖がある。謝れる人の奥には、その恐怖を引き受ける勇気があるー
私達は、謝れない人を見るとーー
★プライドが高い
☆偉そう
★自分を守っている
ーー等と感じます。
勿論そうなのですが、その奥を覗くと、彼ら彼女らにあるのは恐怖だったりします。
たとえば、ある弁護士が依頼者対応で失敗したとします。
そこで、その弁護士は「私の対応が不適切でした。」と言えません。
これは、何故でしょうか?
弁護士の中で「対応の失敗」と「自分の価値」が結びついているからです。
「私は、対応を間違えた」ではなく「私は、無能な弁護士だ」と感じてしまうのです。
だから、脳は防御を始めますーー。
★相手が間違っている
☆事情があった
★自分だけが悪いわけではない
ーーこれは嘘をついているというより、自我を守る為の反応です。
心理学では、人間は自分の自己像を守ろうとする傾向がある事が証明されています。
自分をーー
★良い人
☆有能な人
★誠実な人
ーーだと思いたいのです。
だから、人はそれと矛盾する事実を突きつけられると、苦しくなります。
謝罪とは「自分は良い人でありながら、間違いを犯した」という矛盾を受け入れる事でもあります。
これは、想像以上に難しい事なのです。
ーー謝罪とは、ただ頭を下げることではない。
自分の中にある恐れを認めること。完璧ではない自分を受け入れること。
そして、それでも自分の価値は失われないと、信じること。
本当に強い人とは、恐れがない人のことではない。
失敗しない人のことでもない。
本当に強い人とは、誰よりも失敗を知り、誰よりも自分の弱さを知っている人のこと。
それでも、間違いを認めることから、逃げない人ーー。
ー謝罪とは、自分の価値を守るために戦うことではない。謝罪とは、失敗しても価値は失われないと信じる勇気であるー
強い人とは、失敗しない人の事ではありません。
寧ろ逆。強い人は、たくさん失敗をします。
違いは、失敗によって自分の価値が消えない事を知っている。ここに集約されます。
たとえば、小さい子どもは、転ぶと泣きます。
何故なら、小さい子どもにとっては転ぶ事自体が大事件だからです。
でも大人は転んでも「転んだな」で、終わります。
何故なら、転ぶ事と、自分の価値を結び付けていないからです。
謝罪も、同じです。
未熟な自尊心は、失敗=自分の否定になります。
成熟した自尊心は、失敗=修正すべき事実になります。
だから本当に強い人は、謝罪を敗北だと思っていません。
寧ろ「間違いがあったら、直そう」と考えます。
失敗と自分の価値を結びつけていなければ、防御する必要がないのです。
ここが興味深い所。
医師や弁護士、経営者等は、長年努力して、地位を築いてきました。
しかし時として、その地位が、自分そのものになります。
すると、仕事への批判が、人格への批判に、感じられるのです。
その一方、本当に強い人は、自分と肩書を分けて、考えます。
「私は、弁護士だ」ではなく「私は、弁護士という仕事をしている」という感覚です。
この違いは、大きいです。
肩書が自分そのものだと、批判は存在への恐怖になります。
肩書が役割だと、批判は仕事へのフィードバックになります。
ーー「申し訳ありません」という短い言葉の中にあるのは、責任感だけではない。
勇気がある。誠実さがある。
そして、自分の不完全さを引き受ける強さがある。
人は、謝ることで負けるのではない。
謝ることで、自分を小さくするのもでもない。
むしろ逆だ。
謝ることで失うものは、実はほとんどない。
けれど、謝ることができないことで失うものは、案外大きい。
信頼。尊敬。
そして、もう1度やり直せるはずだった関係。
本当に強い人とは、そのことを知っている人なのかもしれないーー。