違いを排除しない環境で育った子どもは「認められるために頑張る」のではなく「ここにいていい」から、人生を始める。
そこで育つ自己肯定感は、褒められた時だけ育つものでも、否定された時に壊れるものでもない。
違いを恐れる事も、比べる事も、自分を守るために誰かを下げる必要もない。
これが、違いを排除しない環境の中で育つことで生まれる「質の違う自己肯定感」。
これから綴るのは、そんな物語。
♦人は考えて反応しているのではない。すでに信じている世界に反射しているだけだ
ーー人は、考えて反応しているのではない。
ずっと前に覚えた世界に、ただ反射をしている。
幼い日、まだ上手く言葉にならない頃。
幼い日に過ごした場所の空気が、その子の世界の形になる。
非認知能力が芽吹く0~6歳。
その時に見た景色、その時に感じた空気は、記憶より深く、身体に残る。
同じであることが求められる場所では、違いは、脅威になる。
違う言葉。違う顔。違う考え方。
それは「知らないもの」ではなく「自分を揺らすもの」になってしまうーー
ー違っていてもいいではない。違っているからこそ、そのままでいていいー
「ここは同じになる場所ではない。違ったまま一緒にいられる場所」
この感覚を幼少期に持てるかどうかで、その後の人生は大きく変わります。
0~6歳は、非認知能力の基盤が作られる時期です。
この時期に、どんな環境で人と関わるのかが、無意識の「前提認知」を作ります。
「前提認知」とは、人が無意識に当たり前だと思っている世界のルールの事です。
☆人は、どうあるべきか
★違いは、どう扱われるべきか
☆自分は、どんな存在か
この「前提認知」は、後から理屈で考えるより先に、人間関係の反応として現れます。
だから人は、考えてから反応するのではなく、すでに信じている世界に反射しているのです。
同じである事が求められる環境では、違いは脅威になります。
違いが許容される環境では、違いは情報になります。
この差は、子どもの頃には目立ちません。
この差は、大人になってから大きく現れますーー。
★違う意見を言われた時
☆意見を否定された時
★集団の中で、自分が少数派になった時
ーーその時「自分は攻撃されている」と感じる人もいれば「そういう考えもある」と受け止める事が出来る人もいます。
この差を作るのは能力ではなく、幼少期に形成された「前提認知」です。
インターナショナル保育園の本当の価値は、英語を話せるようになる事ではありません。
インターナショナル保育園のような違いが排除しない環境の本当の価値は「人は違っていい」という前提を、言葉ではなく、身体感覚として身につけていく事にあります。
これが、壊れにくい自己肯定感を作ります。
それは、褒められたら上がる自己肯定感でもない。
それは、否定されたから崩れる自己肯定感でもない。
違ったまま存在していいという自己肯定感です。
ーー人は、大人になってから傷つくのではない。
幼い頃に覚えた世界の中で、ずっと同じ傷つきかたを繰り返している。
幼い頃にいた場所が、その人の普通を作る。
同じであることが求められる場所で育った子どもは、違いが脅威になる。
違いを排除しない場所で育った子どもは、少し違う景色を見る。
自分と違う言葉があっても、世界は壊れないことを知っている。
自分の意見を言っても、関係は終わらないことを知っている。
だから、誰かの正しさに飲まれない。
だから、誰かを下げて、自分を守る必要もないーー。
ー同じ失敗でも、ある人には存在の揺らぎになり、ある人には物語の一行になるー
「前提認知」の差が本当に現れるのは、大人になってからです。
多くの人が自分の生きずらさを、性格や能力の問題であると思っています。
しかし、その原因は多くの場合「前提認知の差」にあります。
幼少期から学生時代までは、比較的わかりやすい世界ですーー。
★正解がある
☆役割が決まっている
★評価基準が一定
ーーこの構造では「前提認知」の差は表面化しにくいです。
しかし、大人になると、突然その土台が消えます。
☆社会人になる
★意見調整・対立場面
☆結婚・子育て
正解がなくなった時、人は無意識に持っている世界観で反応します。
その時に初めて「前提認知」の差が露わになります。
♧仕事で現れる差
安全が欠けた自己肯定感ではーー
★他責・正当化が増える
☆失敗を隠す
★防衛的になる
安全を土台にした自己肯定感ではーー
☆助けを求められる
★失敗を共有出来る
☆学習速度が速い
この差は、能力ではありません。
失敗を「存在の危機」と感じるか、失敗を「経験」と感じるかの差です。
ーー夫婦になるということは、同じ人になることではない。
違う世界を生きてきた2人が、同じ部屋で朝を迎えることだ。
同じ食卓に座り、同じ子どもを見つめ、同じ未来を話しながら、見えている景色は少しずつ違う。
その違いは、悪いことではない。
その違いは、最初からそこにあるものだ。
人は、違いに触れた瞬間、相手を見ているつもりで、自分の中の古い世界を見ているーー。
ー同じ地図を持っているようで、実は別々の地図を持って歩いている。それでも、一緒に歩くのが夫婦という形ー
♧家庭で現れる差
夫婦・子育ては「前提認知」が最も露呈する場です。
仕事には、まだ役割がありますーー
★役割
☆建前
★評価
家庭には、それがありませんーー。
☆正解がない
★逃げ場がない
☆評価がない
ーーだから、家庭ではその人の「前提認知」がむき出しになります。
夫婦間でズレるものは、表面上いろいろありますーー。
★価値観の違い
☆子育て方針の違い
★お金・時間・家事分担
ーーしかし、これは表面的なものであり、本質ではありません。
違う事は、当然です。
本質は、その違いが現れた時に、それを「攻撃」と感じるか「対話の素材」と感じるか。
ここに、幼少期から育ってきた「前提認知」の差が現れます。
ーー夫婦とは、相手を知る場所である前に、自分の中の世界を知る場所。
相手の言葉で、自分の怖さが見える。
相手の沈黙で、自分の孤独が見える。
相手の違いで、自分が何を脅威だと思っているのかが見える。
本当に大切なのは、価値観が同じであることではない。
お金の使い方が同じことでも、家事分担が平等なことでも、子育ての考えが揃うことでもない。
本当に大切なのは、違いが現れた時に、その場が安全でいられること。
「違うね」で終われること。
「でも一緒にいる」でいられること。
自己肯定感とは、1人でいられることではない。
自己肯定感とは、違っていても誰かの隣にいられる力のこと。
夫婦とは、愛を証明する場所ではないのかもしれない。
夫婦とは、違いの中で、関係を壊さずに生きられるのかを、学ぶ場所のことなのかもしれない。
この静かな学びを、人は結婚と呼ぶのだろうーー。