人は、自分が守られた形でしか他者を守れない12ー「ここにいていい。」から「ここから行っていい。」へー





 ーー「みんなと同じだから、ここにいていい。」ではない。

 「違っていても、ここにいていい。」この感覚から、人生を始められること。



 それは、英語を話せることよりも、ずっと長い人生を支えてくれるーー。







   ♦ここにいていい、から始まる人生


 

 「インターナショナル保育園=英語が話せるようになる」という理解は、表面的な理解です。

 

 インターナショナル保育園の本質的な価値は、非認知能力が育ちやすい環境にあります。

 

 

  ※非認知能力:自己肯定感・やり抜く力・レジリエンス等、テストでは図る事の出来ない能力

 

 

 

 

 非認知能力は「生きる力の基盤」となる力です。

 

 特に、0~6歳の段階は、非認知能力の土台が形成される臨界期にあります。

 

 

  ※臨界期:ある刺激が与えられた時に、その効果が最もよく現れる限られた時期

 

 

 つまり、非認知能力の臨界期にある0~6歳の時、どのような環境にいるのかが、その後の人生を決めると言っても過言ではありません。

 

 

 

 

 

 多様性が当たり前の環境で育った子どもは「認められるために頑張る」のではなく「ここにいていい」から、人生を始める。

 

 そこで育つ自己肯定感は、褒められた時だけ育つものでも、否定された時に壊れるものでもない。

 

 

 違いを恐れる事も、誰かと比べる事も、自分を守るために誰かを下げる必要もない。

 

 これが多様性が当たり前の環境の中で育つ「質の違う自己肯定感」。

 

 

 これから綴るのは、そんな物語。




 

 

 

 



 ーー親が、ずっと隣にいることが、子どもの安心ではない。

 
 親が隣にいなくても「自分は、大丈夫。」と、思えること。

 それが、本当の安心なのかもしれない。



 だから、親が育てているのは、子どもだけではない。

 子どもが、自分の人生を歩いていけるように「心配しながらも、信じて待てる自分」を、親自身も育てていくーー。



 

 

 

 

 

  ー子どもの感情を変えることより、子どもの感情が変わるまで、変わらずにいることー

 




 子どもを育てるとは、愛情を注ぐ事だけでありません。

 子どもを育てるとは、揺れずに子どもの隣にいられる、自分を育てる事でもありますーー。


   ☆子どもが、泣く

   ★子どもが、怒る

   ☆子どもが、思い通りにならない


 ーーその時、親自身の不安まで、動き出してしまう事がありますーー。


    ★「どうしよう。」

    ☆「私のせいかな?」

    ★「早く泣き止ませなきゃ。」


 ーー子どもの感情に、親自身の感情が、重なっていきます。




 すると、共感する前に、止めたくなります。

 怒りたくなります。先回りしたくなります。


 ただ、一緒に揺れる事と、共鳴する事は、同じではありません。



 

 

 

 

  ー「あなたの感情は、あなたのもの。それでも、私は、あなたの隣にいる。」ー

 

 

 子どもと一緒に泣く事は、共鳴ではありません。

 泣く子どもの隣に、揺れずに立ち続ける事が、共鳴です。


 

 感情共鳴とは、相手の感情を感じ取りつつ、飲み込めれない力の事です。

 

 感情共鳴も、0~6歳に臨界期を迎える非認知能力の1つです。




 「悲しいんだね。」と受け止める。

 でも、親自身まで崩れない。


 子どもの感情を、感じる。

 けれど、子どもの感情と、自分の感情を、混ぜない。



 共鳴は、する。

 でも、融合はしない。


 そこに、子どもが安心して感情を出せる余白が、生まれます。

 そして、その余白の中で、子どもは少しずつ、自分の感情を自分で扱う力を身につけていきます。


 

 

 

 

 

 

 

  …一歩目をもっと速く!すぐ立て!すぐ立て!…

 

  …俺がすぐ攻撃態勢をつくれたら、セッターは上げ易くて、俺(スパイカー)は打ち易くて…

 

 

及川さん | ハイキュー 画像, ハイキューファンアート, 及川日向

 

  

  …相変わらず、イヤな存在感だな、チビちゃん…

 

 

  「スキアリッ」

 

  …ツー‥!!…

 

  「ふはははははは!」

 

 

  …攻撃の選択肢も増える!!!…

 

 

  『ハイキュー』及川徹と日向の物語です。


 

 




  ーセンスは、磨くもの。才能は、開花させるものー


 
 すぐ立つ。早く動く。

 この日向の行動により、コートの中に、選べる場所が増えていきます。


 自分が動くからこそ、次の選択肢が増える。

 子どもの成長も、似ています。




 親が、子どもが打ち易いトスを上げ続ければ、子どもは、打ち易いかもしれない。

 親が、子どもが転ばないように先回りをし続ければ、子どもは、迷わないかもしれない。


 けれど、自分で考え、自分で動き、自分で選ぶ余白がなければ、その先にある選択肢は増えていきません。

 だから私は、親が作るのは正解への道ではなく、子どもが自分で走り出せる余白であると思っています。




 

 



 ーー子どもは、いつか親の元を離れる。

 その時「離れてしまった。」ではなく「自分の足で走り始めた。」と思える親でいたい。





 「いつでも帰ってきていい。」

 そう伝えながら「自分の行きたい場所へ、行っておいで。」と、送り出す。



 引き戻すのではなく、背中を押すでのもなく、帰る場所を残したまま、手を離す。

 それが、子どもに人生を渡していくという、ことなのかもしれないーー。



 

 

 

 

 

  ー帰る場所があるから、人は自分の行きたい場所に行くことができる

 


 守り過ぎた距離は、依存を育てます。

 信じて待つ距離は、自立を育てます。
 

 
 子どもが転んだ時、すぐに手を差し出す事も、愛情です。

 子どもが自分で立とうとしている時、あえて手を出さない事も、愛情です。




 「大丈夫?」と何度も確認するのではなく「あなたなら、大丈夫。」という眼差しで見ている。

 親子に必要なのは、近過ぎる距離でも、遠過ぎる距離でもありません。



 子どもが、自分で走り出せる距離。

 そして、走り出した子どもを、追いかけずに見ていられる距離。






 親は、ずっとトスを上げ続けなくていい。

 ただ、子どもが自分で走り出せる場所に、揺れずに立っている。


 それが、子どもの心に「ここにいていい。」という安心を残していく事。

 そしていつか、子どもは振り返らなくなる。


 振り返らなくても、そこに親がいると、知っているから。

 「ここにいていい。」と知った子どもは、いつか「ここから行っていい。」と思える。