ーー「みんなと同じだから、ここにいていい。」ではない。
「違っていても、ここにいていい。」この感覚から、人生を始められること。
それは、英語を話せることよりも、ずっと長い人生を支えてくれるーー。
♦ここにいていい、から始まる人生
「インターナショナル保育園=英語が話せるようになる」という理解は、表面的な理解です。
インターナショナル保育園の本質的な価値は、非認知能力が育ちやすい環境にあります。
※非認知能力:自己肯定感・やり抜く力・レジリエンス等、テストでは図る事の出来ない能力
非認知能力は「生きる力の基盤」となる力です。
特に、0~6歳の段階は、非認知能力の土台が形成される臨界期にあります。
※臨界期:ある刺激が与えられた時に、その効果が最もよく現れる限られた時期
つまり、非認知能力の臨界期にある0~6歳の時、どのような環境にいるのかが、その後の人生を決めると言っても過言ではありません。
多様性が当たり前の環境で育った子どもは「認められるために頑張る」のではなく「ここにいていい」から、人生を始める。
そこで育つ自己肯定感は、褒められた時だけ育つものでも、否定された時に壊れるものでもない。
違いを恐れる事も、誰かと比べる事も、自分を守るために誰かを下げる必要もない。
これが多様性が当たり前の環境の中で育つ「質の違う自己肯定感」。
これから綴るのは、そんな物語。
ーー親が、ずっと隣にいることが、子どもの安心ではない。
親が隣にいなくても「自分は、大丈夫。」と、思えること。
それが、本当の安心なのかもしれない。
だから、親が育てているのは、子どもだけではない。
子どもが、自分の人生を歩いていけるように「心配しながらも、信じて待てる自分」を、親自身も育てていくーー。
ー子どもの感情を変えることより、子どもの感情が変わるまで、変わらずにいることー
子どもを育てるとは、愛情を注ぐ事だけでありません。
子どもを育てるとは、揺れずに子どもの隣にいられる、自分を育てる事でもありますーー。
☆子どもが、泣く
★子どもが、怒る
☆子どもが、思い通りにならない
ーーその時、親自身の不安まで、動き出してしまう事がありますーー。
★「どうしよう。」
☆「私のせいかな?」
★「早く泣き止ませなきゃ。」
ーー子どもの感情に、親自身の感情が、重なっていきます。
すると、共感する前に、止めたくなります。
怒りたくなります。先回りしたくなります。
ただ、一緒に揺れる事と、共鳴する事は、同じではありません。
ー「あなたの感情は、あなたのもの。それでも、私は、あなたの隣にいる。」ー
子どもと一緒に泣く事は、共鳴ではありません。
泣く子どもの隣に、揺れずに立ち続ける事が、共鳴です。
感情共鳴とは、相手の感情を感じ取りつつ、飲み込めれない力の事です。
感情共鳴も、0~6歳に臨界期を迎える非認知能力の1つです。
「悲しいんだね。」と受け止める。
でも、親自身まで崩れない。
子どもの感情を、感じる。
けれど、子どもの感情と、自分の感情を、混ぜない。
共鳴は、する。
でも、融合はしない。
そこに、子どもが安心して感情を出せる余白が、生まれます。
そして、その余白の中で、子どもは少しずつ、自分の感情を自分で扱う力を身につけていきます。
…一歩目をもっと速く!すぐ立て!すぐ立て!…
…俺がすぐ攻撃態勢をつくれたら、セッターは上げ易くて、俺(スパイカー)は打ち易くて…
…相変わらず、イヤな存在感だな、チビちゃん…
「スキアリッ」
…ツー‥!!…
「ふはははははは!」
…攻撃の選択肢も増える!!!…
『ハイキュー』及川徹と日向の物語です。
ーセンスは、磨くもの。才能は、開花させるものー
すぐ立つ。早く動く。
この日向の行動により、コートの中に、選べる場所が増えていきます。
自分が動くからこそ、次の選択肢が増える。
子どもの成長も、似ています。
親が、子どもが打ち易いトスを上げ続ければ、子どもは、打ち易いかもしれない。
親が、子どもが転ばないように先回りをし続ければ、子どもは、迷わないかもしれない。
けれど、自分で考え、自分で動き、自分で選ぶ余白がなければ、その先にある選択肢は増えていきません。
だから私は、親が作るのは正解への道ではなく、子どもが自分で走り出せる余白であると思っています。
ーー子どもは、いつか親の元を離れる。
その時「離れてしまった。」ではなく「自分の足で走り始めた。」と思える親でいたい。
「いつでも帰ってきていい。」
そう伝えながら「自分の行きたい場所へ、行っておいで。」と、送り出す。
引き戻すのではなく、背中を押すでのもなく、帰る場所を残したまま、手を離す。
それが、子どもに人生を渡していくという、ことなのかもしれないーー。
ー帰る場所があるから、人は自分の行きたい場所に行くことができるー
守り過ぎた距離は、依存を育てます。
信じて待つ距離は、自立を育てます。
子どもが転んだ時、すぐに手を差し出す事も、愛情です。
子どもが自分で立とうとしている時、あえて手を出さない事も、愛情です。
「大丈夫?」と何度も確認するのではなく「あなたなら、大丈夫。」という眼差しで見ている。
親子に必要なのは、近過ぎる距離でも、遠過ぎる距離でもありません。
子どもが、自分で走り出せる距離。
そして、走り出した子どもを、追いかけずに見ていられる距離。
親は、ずっとトスを上げ続けなくていい。
ただ、子どもが自分で走り出せる場所に、揺れずに立っている。
それが、子どもの心に「ここにいていい。」という安心を残していく事。
そしていつか、子どもは振り返らなくなる。
振り返らなくても、そこに親がいると、知っているから。
「ここにいていい。」と知った子どもは、いつか「ここから行っていい。」と思える。