ーーそんな世界で育ったあなたが、いつか誰かの親になった時。
子どもの中にある、まだ名前のない可能性を信じてあげられますように。
あなたが受け取った安心が、あなたの子どもへ。
あなたが知った自由が、その子の未来へ。
そして、その子が大人になった時、また誰かへ。
教育とは、子育てとは、今日の子どもを育てることだけではない。
まだ出逢っていない、未来の誰かを、大切にできる人を育てることなのかもしれないーー。
♦ここにいていい、から始まる人生
多様性が当たり前の環境で育った子どもは「認められるために頑張る」のではなく「ここにいていい」から、人生を始める。
そこで育つ自己肯定感は、褒められた時だけ育つものでも、否定された時に壊れるものでもない。
違いを恐れる事も、比べる事も、自分を守るために誰かを下げる必要もない。
これが多様性が当たり前の環境の中で育つ「質の違う自己肯定感」。
これから綴るのは、そんな物語。
ー自分を認めてもらう為に生きるのではなく、自分を認めてくれた世界から、誰かを認める人生が始まるー
非認知能力の臨界期にある0~6歳の間に「多様性耐性が自然に身につく環境」で育ち「質の違う自己肯定感」を獲得した子どもが、その経験・能力、否、前提認知を本当に発揮するようになるのは、実は20~30年後です。
認められる為に、頑張る人生。
認められている場所から、始まる人生。
その違いは、幼い頃には、殆ど見えない。けれどーー
☆いつか、自分が親になった時
★自分の子どもが、失敗した時
☆子どもが、自分とは違う意見を持った時
その瞬間に、幼い頃に受け取った世界が、静かに姿を現します。
そして、その力を最も発揮する場所は、学校や会社ではなく、家庭です。
世界には、2つの教育があります。
1つは、正解を探す教育。
もう1つは、世界を探す教育。
勿論、正解を知る事も、大切です。
けれど、正解を探す事だけが教育になってしまうと、子どもは間違えない事、失敗しない事を優先するようになってしまうーー。
★周りと、比較する
☆周りに、合わせる
★自分の意見を、飲み込む
ーーそれが、失敗しない為に、間違わない為に、自分の気持ちを押し殺す生き方に、繋がってしまう事もある。
心理学の自己決定理論では、人が自分の人生を主体的に生きる為には、自律性や有能感、他者との繋がりが、重要であると考えられているーー。
☆子どもが、自分で考える
★子どもが、自分で選ぶ
☆子どもが、自分の選択の結果と向き合う
ーーその経験の積み重ねが、少しずつ、自分の人生を生きる力になっていく。
答えを知る事と、答えのない世界を、自分の足で歩いていく事。
その両方が、子どもの未来を、支えていくのだと思う。
ーー子どもが、自分と違う誰かと出逢った時。
その違いを遠ざける理由ではなく、知ろうとするきっかけにすることができるのなら。
自分が受け入れられた記憶は、誰かを受け入れる力になる。
自分の可能性を信じて貰った記憶は、誰かの可能性を信じる力になる。
そして、いつか親になった時、かつて自分が受け取ったものを、今度は、自分の子どもに渡していく。
教育や子育ては、子どもが大人になった後も、その人の中で続いていく。
その先にいる、まだ生まれてもいない誰かへ。
私達は、今日の眼差しを渡していくーー。
ー自分の居場所を与えられた子どもは、いつか、誰かの居場所を奪わない大人になるー
決定的な違いが現れるのは、子どもが、問題を起こした時かもしれないーー。
★友達を、傷つけてしまった
☆約束を、守れなかった
★自分の思い通りにならず、怒ってしまった
ーーそんな時、親は、何て伝えるのだろう?ーー
★「何で、そんな事をしたの?」
☆「周りに、迷惑でしょ。」
ーー勿論、子どもの行動を止めなければならない場面はある。
けれど、そこで終わってしまったら、子どもが怒られない為の正解を探すようになるかもしれないーー。
☆「どう、感じた?」
★「相手は、どう感じたと思う?」
ーー問いかける事は、何でも許す事ではありません。
問いかける事は、子どもが、自分の行動と向き合う機会を、渡す事。
子どもを守る事と、子どもに考えさせる事は、対立しない。
寧ろ、安心出来る場所があるからこそ、自分の間違いを認められるようになるのかもしれない。
インターナショナル保育園に通った子どもが、30代、40代になった時。
その子が、どんな親になるのか。
どんな家庭を、作るのか。
それは今、断定する事は出来ない。
インターナショナル保育園に通えば、必ず、自律的な人間になるわけではない。
私は、大切なのは、園の名前でも、英語を話せるようになる事でもないと、思っている。
その環境の中で、どんな関係を経験したのかーー
☆自分の声を、聴いて貰えたのか
★違いを、受け入れて貰えたのか
☆失敗しても、もう1度挑戦できたのか
ーーその経験の積み重ねが、いつか自分の子どもを向き合う時に、姿を現すのかもしれない。
「じゃあ元気でね。チビ‥ショーヨー。」
「‥!!ハイッッあざっっしたっっ。」
『ハイキュー』及川徹と日向の物語です。
才能も、歩いてきた道のりも、出逢ってきた人も、違う。
それでも、相手の可能性を認め、次の舞台へ送り出す事は出来る。
誰かに認められた経験は、いつか、自分を信じる力となる。
子どもに必要なのは、誰かより優れている事を、証明する事ではない。
自分とは違う誰かと出逢い、その違いを認めながら、自分の可能性も信じていく。
子どもが大人になった時、どんな世界を生きていてほしいのか。
その答えは、今日、私達が子どもに向ける眼差しの中に、あるのかもしれない。
ーーインターナショナル保育園という環境で育つ子どもは、英語を覚えているわけではない。
彼ら彼女らは、もっと深いものを、覚えている。
人は、違うということ。
意見を持っていいということ。
そして、自分という存在は、最初から世界の中に居場所があるということ。
その感覚は、すぐに成果として現れるものではない。
しかし、20年後、30年後。静かに、確実に差を生んでいくーー。
ー子どもは、親の言葉を忘れる。けれど、親が見せた世界を、自分の世界として生きていくー
子どもは、親が教えた言葉で、育つのではない。
親が、どんな世界を生きているのかーー。
☆誰の、意見を聴き
★誰の、違いを認め
☆誰の、失敗を受け入れているのか
ーーその姿を見ながら、世界の見方を覚えていく。
だから、私は、教育とは、子どもに知識を渡す事ではないと、思っている。
教育とは、子どもに、どんな世界を、手渡すのか。
その問いが、子どもの未来を、作っていくのだと思う。
その感覚は、すぐに成果として現れるものではない。
しかし、20年後、30年後。静かに、確実に差を生んでいく。
それは、学歴ではない。
英語を話せるようになることでもない。
家庭の作り方。
子どもへの向き合い方。
そして、人生の選び方。
幼い頃に身につけた「世界の前提」は、大人になった後も、その人の人生の設計図として残り続ける。
ー幼い頃に渡された世界観は、長い年月を掛けて、人生の土台となる。そして、30代・40代で、その強さが静かに現れるー
教育の差は、10歳では見えない。
20歳でも、見えないかもしれない。
けれど、30年後ーー。
☆自分の子どもが、失敗した時、間違えた時
★自分とは、違う意見を持った時
☆自分の、思い通りにならない時
ーーその何気ない瞬間に、幼い頃に受け取った世界が、静かに姿を現すのかもしれない。
自分が、認められる為に頑張ってきたのなら、自分の子どもにも、認められる為に頑張る事を求めてしまうかもしれない。
自分が、失敗しても受け止めて貰えたのなら、自分の子どもの失敗も受け止められるかもしれない。
勿論、人生は、幼い頃の経験だけで、決まるものではない。
人は、いつからでも、学び直せる。
いつからでも、自分の世界を広げられる。
それでも、幼い頃に受け取ったものが、人生のどこかで、自分を支えてくれる事はあると、私は思う。
ここに、いていい。
失敗しても、ここにいていい。
他の人と違っても、ここにいていい。
その感覚から、人生を始められる事。
そして、いつか、自分の子どもにも。
ここに、いていい。
そう伝えられる事。
教育とは、子どもに、正解を渡す事ではないと、私は思う。
教育とは、子どもが、自分の人生を始められる世界を手渡す事なのだと、私は思う。