同じ40年を、同じ重さで測れるのかー安定を手にする人生と、全てを背負う人生。その価値は、本当に同じだろうか?ー
ーー安定には、安定の価値がある。
挑戦には、挑戦の価値がある。
だから、どちらが正しいかではなく、どれだけのリスクを引き受けて、どれだけのリターンを得られるのか。
その釣り合いこそが、問われるのかもしれない。
守られた場所から見る景色と、何度も転びながら自分の足で立ち上がり続けた人が見る景色は、同じではない。
私は、安定を否定したいわけではない。
ただ、何も賭けなかった人生と、全てを賭けた人生が、同じ重さで語られていいのか。
その問いを、心の片隅に、ずっと置いておきたいーー。
ー人生のリターンを語るなら、その人がどれだけ得たかだけではなく、どれだけ失う覚悟をしてきたのを、問いたいー
私には、時々、頭を過ぎる事があります。
「人生におけるリスクと、リターンは、本当に釣り合っているのだろうか?」と。
たとえば、公務員という働き方があります。
勿論、公務員にも、責任はありますーー。
☆仕事が、大変な人もいる
★人間関係で、悩む人もいる
ーーだから「公務員は、何のリスクも取っていない。」と、言うつもりはありません。
ただ、何の後ろ盾もなく、自分で会社を経営している人間から見ると、やはり強い違和感を感じてしまいます。
会社を経営するという事はーー
☆自分の、お金を使い
★自分で、売上を作り
☆人を、雇い
★未来に、投資し
ーーそして、失敗をすれば、その責任を全て自分で受け入れる。
会社が赤字になっても、従業員の給料は払わなければならない。
売り上げが落ちても、家賃や社会保険料・税金は、待ってくれない。
自分や家族が病気になっても、会社が自動的に止まってくれるわけではない。
つまり、経営者には「自分が失敗すれば、自分の生活が成り立たなくなる。」という、大きなリスクがあります。
ー大きく失わないことが、すでに大きな利益なのだとしたら、そこにさらに大きな報酬を与える必要があるのだろうかー
一方、公務員には「自分が失敗すれば、自分の生活が成り立たなくなる。」というリスクは、ありません。
その代わり、公務員は、収入の上限は大きくありません。
これは、ある意味公平です。
大きく儲かる可能性を手放す代わりに、大きく失う可能性も小さい。
公務員という制度は「人生の大きな下振れを避けやすい代わりに、大きな上振れも求めない」という、働き方なのだと思います。
それならば、私は1つの疑問を、持ちます。
そこまで大きな下振れを制度によって抑えているのに、給与も、退職金も、年金も、決して小さくない。
それは、本当にリスクとの釣り合いが、取れているのでしょうか?
「安定している事」そのものに、すでに大きな価値があるのだとしたら、そこに、さらに高い給与と、大きな退職金と、十二分な年金を、上乗せする必要があるのでしょうか?
私は、どうしても、そこに強い違和感を、感じてしまいます。
ーーもちろん、安定を選ぶことも、1つの覚悟だ。
けれど、大きなリスクを自分で引き受けた人にしか、見えない景色がある。
そして、私は思う。
人生の価値は、最後に残った財産ではなく、そこへ至るまでに何を背負ったのかに、あるのかもしれない。
その人が何を守り、何を失い、それでも何を信じて、歩き続けたのか。
天秤に乗せるべきなのは、結果だけではない。
その結果を得るために、どれだけの「失う可能性」を、引き受けたのか。
そこまで見なければ、本当の重さは、わからないーー。
ー結果だけを見れば、平等に見える。けれど、その結果を得るまでに背負った「失う可能性」までを見れば、人生の重さは決して同じではないー
たとえば、国家公務員の定年退職者の退職手当は、平均2,147万円。
仮に、22歳~65歳までの43年間、給与を単純化して毎年600万円受け取ったとして、2億5,800万円。
これに、65歳~85歳までの20年間、毎年240万円の年金を受け取ったとして、4,800万円。
これを全て合計すると、3億1,947万円になります。
勿論、これは税金や社会保険料を、考慮していない単純な計算です。
また、実際の給与や年金額は、公務員それぞれにより、異なるでしょう。
それでも、公務員には「40年間の仕事の保証の中で、安定した給与を受け取り、退職金を得て、老後には年金がある。」
そんな公務員1人の経済的な価値は、3億円以上になります。
勿論、公務員にも、仕事上の責任はあります。けれど、経営者とは決定的に違うーー。
★仕事がなくなっても、自分の資産を失うわけではない
☆売上が落ちても、自分の給料は変わらない
★部下の給料を、自分の資産から補填する必要もない
ーー公務員は「人生の下振れを大きく抑えられた状態で、長期間に渡り、安定した収入と保証を得る」という、仕組みです。
では、その一方で、大きなリスクを引き受けた人間には、それに見合うだけのリターンが、本当に残されているのだろうか?
私は、そこに強い違和感を、覚えているのです。
リスクを取らない事が、悪い事ではありません。
問題は「ほとんど失わない仕組み」と「十分に大きなリターン」が、同時に成立している事。
そして、そのリスクを引き受けている人間からみると「それなら、挑戦する意味は何なのだろう。」と。
そう思ってしまう瞬間が、確かにあるのです。