変わったのは日本代表ではなく、私だったのかもしれない2ーブラジルが勝った夜、物語は続いたー
ーー「負けた。」
試合が終わった瞬間、多くの人が、そう口にした。
確かに日本代表は、ブラジルに敗れた。ベスト32で、大会を去った。
結果だけ見れば、それで終わる話だ。
でも、私は試合後、どうしてもその言葉に違和感を覚えた。
本当に、日本は「勝てなかったの」だろうか?
いや、違う。
あの90分が私に教えてくれたのは「勝てなかった」のではない。
「あと少しで勝てた」のだ。
この2つの言葉は似ているようで、実は人生の見え方まで変えてしまうほど、大きく違うーー。
ー「勝てなかった」は過去を見る言葉。「あと少しで勝てた」は未来を見る言葉ー
「勝てなかった」と「あと少しで勝てた」は、結果は同じでも、世界の見え方が全く違います。
「勝てなかった」という言葉は、現在地から過去を見る言葉です。
結果を基準に「足りなかったもの」を数える言葉です。
だから視線は、欠点に向かいます。
一方で「あと少しで勝てた」は、未来から現在を見ている言葉です。
勝利を可能性として捉え「何を積み重ねれば、届くのか」を考える言葉です。
だから視線は、成長へ向かいます。
歴史を振り返れば、クラブも代表も、同じ道を歩んできました。
強いクラブや代表は、ある日突然強いクラブや代表になったわけではありませんーー。
☆あと一歩で届いた
★あと5分だった
☆あと1点だった
ーーそんな敗北を何度も、何度も経験し、その積み重ねが「勝つ文化」を育ててきました。
結果は同じ敗北でも「勝てなかった敗北」と「あと少しで勝てた敗北」の意味は、大きく異なるのです。
ーーその「あと少し」は、絶望ではない。
希望の距離だ。
届かなかった証ではない。
届く場所まで歩いてきた証だ。
「勝てなかった」は、昨日の言葉。
「あと少しで勝てた」は、明日の言葉。
未来はいつも、この一言から始まるーー。
ー歴史は、いつも「あと少し」と呼ばれた敗北から始まるー
「あと少しで勝てた」という感覚は、サッカーに限った話ではありません。
人生も、同じですーー。
☆資格試験に、あと数点届かなかった人
★最終面接まで届いたのに、採用通知まで届かなかった人
★起業して、あと一歩軌道に乗らなかった人
ーー彼ら彼女らは、何も出来なかった人ではありません。
彼ら彼女らは、あと少しで、届く場所まで来た人なのです。
まだ遠くにいる人には「あと少し」という言葉すら、与えられません。
だから今回の日本代表の敗戦は「勝てなかった物語」ではありません。
今回の日本代表の敗戦は「世界に、あと少しで勝てる国になった物語」です。
そして歴史は、いつもその「あと少し」から動き始めます。
世界は、1度で変わるものではありません。
「勝てなかった」が「あと少しで勝てた」に、変わった日。
その日こそ、未来の勝利が静かに始まった日なのです。
ーーブラジルが、勝った。
その瞬間、胸の奥で誰にも聞こえないほど小さく、安堵の息をついている自分がいた。
悔しいはずなのに、日本を応援していたはずなのに。
それでも、世界はまだ、世界のままでいてくれた。
ブラジルが、勝った。
その知らせは、敗北ではなく、一冊の物語に、まだ「続く」と書かれたような気がしたーー。
ー憧れとは、追い越したい存在ではない。憧れとは、追い続けたい存在であるー
人は、サッカーを観ているようで、実は自分自身を見ています。
子どもの頃、ブラジル代表は「世界」そのものでしたーー。
☆黄色いユニホーム
★遊び心溢れるドリブル
☆ロマーリオ、ロナウド、ロナウジーニョ、ネイマール
ーーブラジルは単なる代表チームではなく「サッカーとは何か」を教えてくれる存在でした。
だから子どもの頃の私にとって、ブラジルは応援する国ではなく、憧れの国でした。
憧れとは、不思議なものです。
自分が成長しても、憧れには自分より前に進んでいてほしい。
もし追い越してしまったら、嬉しい反面「追いかけてきた物語」が終わってしまう寂しさも生まれます。
ーーブラジルが勝ったことで、子どもの頃から信じてきた物語は、まだ終わらなかった。
でも同時に、日本はその物語の読者ではなくなっていた。
あと少しで、その物語の主人公になってしまうところだった。
私は、ブラジルが勝ったことに安心したのではないのかもしれない。
私は、世界の物語が続いたことに、安心したのかもしれない。
ブラジルが、勝った。
それは、憧れが憧れのままでいてくれた、最後の夜だったのかもしれない。
そして同時に、日本がその憧れを追い越す日が、もう遠くないことを告げる夜でもあったーー。
ー憧れを追い越す日とは、歓喜の日ではない。追い続けた物語を、自ら書き継ぐ日であるー
日本代表を応援しているのにも関わらず、私は「ブラジルは、ブラジルであってほしい」と感じています。
これは、私がブラジルを応援しているからではないのかもしれません。
若しかしたら、私は「自分の中にあるサッカーという物語」を守ろうとしていたのかもしれません。
私は、先週『変わったのは日本代表ではなく、私だったのかもしれない』というブログを書きました。
昔は、日本が負ける事は、自然な事でした。
今は、違います。勝っても、おかしくない。
この変化は、日本代表だけではなく、私自身にもあるのかもしれません。
仕事でも資格でも、一歩ずつ挑戦を重ね「遠くの世界」を少しずつ、現実に変えていきました。
かつて遠い存在だったものが、手の届く場所へ来る。
これは喜びある一方、憧れを失う事でもあります。
「まだ世界には、追い続けたい物語が残っている」という安心感。
そして、この安心感が生まれるという事は、日本がもう「ただ憧れるだけの国」ではなくなった事でもあります。
憧れの相手を追い越す日にあるものは、純粋な歓喜だけではありません。
それは、ひとつの時代が終わり、新しい物語の主人公が、歩きはじめる日もであるのです。