誕生日にしか気付けないことー1年を受け取る日ではなく、1年を生きたことに気付く日ー


 
 

 ーー誕生日とは、時間をもらう日ではない。

 時間は、贈り物ではない。


 それは、呼吸のようなものだ。

 吸った息は、必ず吐かなければならない。

 命とは、抱え込むことではなく、受け取ったものを、誰かへ返していく営みなのかもしれない。



 誕生日とは、人生を祝う日ではないのかもしれない。

 自分が受け取ってきた優しさや希望を、次は誰へ手渡していくのかを、自分に問いかける日なのかもしれないーー。







   ♦誰かと生きてきた年数



 私は、誕生日に「おめでとう」という言葉を頂く度に、少し考える事があります。

 それは「誕生日とは、何を祝う日なのだろう?」という問いですーー。



   ☆生まれた事を、祝う日なのだろうか

   ★年齢を重ねた事を、祝う日なのだろうか

   ☆自分の命を、どう使うのかを見つめ直す日なのだろうか



 ーーそんな事を考えているうちに、ある考えが頭を過ぎりました。


 「誕生日は、時間を貰う日ではない」と。








 ーー誕生日の朝、人は「また1年が始まる」と思う。

 けれど本当は、何かが始まるのではなく、何かがここまで続いてきたのだ。



 見えない川のように時間は流れ、私たちはその中を歩いている。

 一滴も、持ち帰れないまま。




 昨日を、掴むことはできない。

 明日を、予約することもできない。

 私たちの手の中にあるのは、この瞬間だけだ。



 だから誕生日とは「1年を受け取った日」ではない。

 「1年を生きてきた事に、静かに気付く日」なのだーー。






  ー人は、1日ずつ歳を重ねるのではない。1日ずつ自分の物語を書き続けているー



 多くの人は、誕生日を迎えると「また1年、歳を取った」と思います。

 でも、本当に増えただけなのでしょうか?


 実は、誕生日に減ったものがあります。

 それは、自分に残された時間です。



 誕生日とは、人生が1年増えた日ではありません。

 誕生日とは、人生という1本の蝋燭(ろうそく)が、また1年分燃えた日でもあります。


 だから誕生日は、喜びと同時に、静かな覚悟を持つ日にしてもいいのかもしれません。




 
 私達はお金を失えば、取り戻そうと懸命に働きます。

 私達は信用を失えば、取り戻そうと努力します。

 私達は健康を失えば、取り戻そうと治療します。


 しかし、時間だけは、誰も取り戻す事が出来ません。

 だから人生で最も高価なものは、お金でも才能でもなく「今日」という1日です。





 誕生日に何を貰ったかは、数年後には忘れてしまいます。

 でも何を決めたかは、一生残ります。


 誕生日の今日決めた事が、数年後の誕生日には、人生になっているかもしれません。








 ーー嬉しかった日。悔しかった日。誰にも言えなかった夜。

 それでも朝は来て、あなたは今日まで歩いてきた。


 その事実だけでもう、あなたの人生には、1つの物語がある。




 誕生日の夜。

 ケーキの灯りが消えた後、部屋が少し静かになる。


 その静けさの中で、人生はそっと問いかけてくる。

 「今年、あなたは何を増やしたい?若しくは、何を減らしたい?」と。


 お金でも、肩書でもなく、誰かを大切にした記憶を。

 自分を、嫌いにならなかった日を。

 もう1度、挑戦した勇気をーー。







  ー人生は、年齢では測れない。誰を愛し、何を大切にしてきたかで、その深さは決まるー



 そして、もう1つ。

 人は、自分の誕生日を祝います。


 けれど、この日を迎えられたのは、自分1人の力だけではありませんーー。


 
   ☆誰かに、育てられ

   ★誰かに、支えられ

   ☆誰かに、許され

   ★誰かに、励まされ



 ーーこの日を、迎えられるのです。



 私達は「1人で生きている」と、思う瞬間があります。

 ただ誕生日は、それが幻想だった事を、思い出させてくれます。


 あなたの年齢は「生きた年数」ではありません。

 あなたの年齢は「誰かと生きてきた年数」でもあるのです。






 ーー誕生日は、時間をもらう日ではない。

 
 限りある時間の中で、何を大切にして生きるのかを、もう1度、自分と約束する日なのだーー。