子どもは、ヒーローではなく、未来の自分を観ている2ー親愛なる隣人・スパイダーマンが、子どもの心に残る理由ー

 


 ーー子どもは、物語を観て、世界から「答え」を受け取っているわけではない。

 世界からの「問い」を、受け取っている。



 どうして、人は助け合うのだろう?

 どうして、悲しいはずなのに、笑うのだろう?

 どうして、傷ついた人ほど、誰かに優しくできるのだろう?






 子どもは、その答えを、急がない。

 物語の中に、問いを、預ける。




 10年後。20年後。


 誰かを、許せなかった日に。大切な人を、失った日に。

 自分を嫌いになりそうに、なった日に。



 あの日、スクリーンの前で受け取った問いが、静かに花開く。



 物語とは、答えを教えるものではない。

 人生の途中で、自分だけの答えに出逢うための「問い」を、心に植えるものだーー。






 

  ー物語とは、子どもの心に答えを残すものではない。人生という時間を掛けて育つ「問いの種」を蒔くものであるー



 子どもは、スパイダーマンを、信じているわけではありません。

 子どもは、スパイダーマンを通じて、世界を信じる練習をしているのです。


 子どもは、生まれた時から、世界が安全であると、知っているわけではありませんーー。


   ★遊んでいるだけでは、いられない

   ☆友達と、衝突する

   ★思い通りに、ならないことがある


 ーー子どもの心は、毎日の出来事を通じて「この世界は、どんな場所なのか」を、少しずつ学んでいきます。





 だから子どもは、物語を求めます。

 そこには、現実より、少し優しい世界があるからですーー。


   ☆傷つけば、誰かが手を差し伸ばしてくれる

   ★間違えても、やり直すチャンスがある

   ☆失敗しても、それだけで人生は終わらない


 ーー物語は、そんな世界の在り方を、静かに教えてくれます。

 ーー彼は、それでも、手を差し伸べる。


 誰かが、見ているからではない。誰かに、褒められるからでもない。

 ただ「そうありたい。」と願う、自分を裏切らないために。






 人は、世界を信じるから、人を愛するのではない。

 誰かを愛した記憶があるから、世界を信じられる。



 子どもは、ヒーローを好きになっているのではないのかもしれない。

 人を、世界を、信じる練習をしているのかもしれないーー。









  ー子どもは、ヒーローを通して「それでも、人を信じる」という、生き方を受け取っているー



 スパイダーマンの魅力は、強さではありませんーー。


   ☆何度も、失敗する

   ★誤解される

   ☆助けられない命がある


 ーーそれでも、彼は「人を助ける」事を、やめません。


 子どもが、心を動かされるのは、その姿です。

 「世界には、悲しい事がある」それでも「人は、誰かの為に動く事ができる」この2つを、同時に知る事が出来るからです。






 発達心理学では、子どもの心には「基本的信頼感」が、育つ事が大切であると、考えられています。


 それは「怖い事が、起きない」と、信じる事ではありませんーー。


   ☆怖い事が起きても、誰かが支えてくれる

   ★困った時には、助けを求めていい

   ☆世界は、絶望だけで出来ているわけではない


 ーーそんな感覚を、少しずつ育てていく事です。








 ーー人は、生まれながらにして、人を、世界を、信じているわけではない。



 最初は、母親の腕で。

 次は、友達の笑顔の中で。

 そして、物語の中で。





 子どもは、現実と空想を、まだ完全には分けていない。

 だから物語は、ただの作り話では終わらない。


 心のどこかで「世界の、本当の姿」として、静かに根を下ろしていく。

 もしこの世界に物語がなければ、人は信じるより先に、疑うことを覚えたかもしれないーー。







  ー子どもの心に蒔かれた物語の種は、いつか誰かに手を差し伸べる優しさとして、静かに花開くー



 だから私は、子どもがスパイダーマンを好きなのは、ヒーローに憧れるだけではないと、思っています。

 子どもは、物語を通して「世界は、信じてもいい場所かもしれない」と、学んでいます。



 映画館で受け取っているのは、勇気だけではありません。

 人を、信じる力。

 そして、自分も誰かを信じていいという、小さな安心なのです。





 いつか子どもは、大人になりますーー。


   ★裏切りを、知る日もある

   ☆努力が、報われない日もある

   ★世界に、拒絶されたと感じる日もある


 ーーそう感じる日も、あるでしょう。




 それでも、その子は、誰かに手を差し伸べるかもしれない。

 何故なら、幼い頃に1人の少年から受け取った種が、人生のどこかで、誰かに手を差し伸べるという花を咲かせるから。