拍手が、正しさを作る2ー「あなたの、為」が、誰かを黙らせるー





 ーー悪意なら、気づける。憎しみなら、身構えられる。

 怒りなら、逃げることもできる。



 でも「あなたの、為だから。」そう言われたら、人は、少しだけ黙ってしまう。

 「皆の、為だから。」そう言われたら、自分の意見が、わがままに見えてしまう。



 善意は、人を殴らない。

 人を、脅さない。人に、命令もしない。



 ただ「正しい」と感じる側に、自分を置いてくれる。

 だから、気持ちいいのかもしれないーー。








  ー善意は、人を救う。でも、善意を疑えなくなった時、善意は人を縛るー




 だから怖いのは「自分は、良いことをしている。」と、思っている人達。


 「自分は、悪いことをしている。」と思っている人は、自分が悪い事をしていると、知っていますーー。



   ★だから、隠す

   ☆だから、嘘をつく

   ★だから、後ろめたさを感じる



 ーーでも「自分は、良いことをしている。」と、思っている人は、違いますーー。



   ★自分を、疑わない

   ☆自分の言葉を、疑わない

   ★自分の行動を、疑わない



 ーー何故なら「良いことをしている。」と、思っているから。





 子どもの、為。学校の、為。国の、為。

 そして「あなたの、為を思って言っている。」


 そう言われると、自分の意見を言う事さえ、難しくなります。

 
 だって、相手は、自分を傷つけようとしているわけではない。

 寧ろ、自分の事を、心配してくれている。


 だからこそ、その言葉は、強い。






 人を傷つける言葉より「あなたの、為。」という言葉の方が、人を黙らせる事があると、私は考えていますーー。



   ★「あなたの、為だから。」

   ☆「子どもの、為だから。」

   ★「みんなの、為だから。」



 ーーそこに「善」が置かれた瞬間、意見する人は「悪」のように、見えてしまう。

 善意は、時に、自分を疑う事を、許さなくなる。








 ーー誰かを、救っている。

 誰かを、守っている。社会を、良くしている。



 そう思えるから、自分を疑わなくて、済む。

 そして、自分を疑わなくなった人は、どこまでも進めてしまう。



 1歩。また、1歩。

 その先に、誰かの声が消えていても。誰かが、泣いていても。



 「でも、私は良いことをしている。」と、言える。

 これほど、怖いことがあるだろうかーー。







  ー歴史を動かすのは、悪意だけではない。「自分は、正しい。」と信じることを疑わなかった人々が、歴史を動かすこともあるー




 だから、私は「権力者が、政治家が、悪かった。」というだけでは、歴史は、説明出来ないと、思っている。

 寧ろ怖いのはーー



   ★自分は、正しい

   ☆自分は、良いことをしている

   ★自分は、誰かの為に頑張っている



 ーーそう信じている人が、疑う事を、やめてしまう事。




 正義には、拍手が集まりやすいーー。



   ★「よく、言った。」

   ☆「立派だ。」

   ★「皆の為に、ありがとう。」



 ーーそんな言葉を受ける度に、人は、自分の正しさを疑わなくなる。

 そして、拍手が増える程、疑う理由がなくなっていく。





 でも、拍手の数は、真理の数ではありません。


 100人が拍手をしても、間違っている事はある。

 1,000人が信じても、間違っている事はある。


 そして、誰も拍手をしなくても、正しい事もある。







 ーー誰かを変えようとする前に、誰かを正そうとする前に、誰かを救おうとする前に。

 1度だけ、自分に問いかけたい。



 これは、本当に誰かの為なのか。
 
 それとも「良いこと」をしている自分を、守るためなのか。




 その問いを失った時、善意は、刃になる。

 その刃には、血ではなく「正しさ」という名前が、刻まれているーー。







  ー「自分は、正しい」と思うことより「自分は、間違っているかもしれない」と思い続けることの方が、難しいー
 



 だから「皆が、どう思っているか?」ではなく「自分は、本当にそうなのか?」と、1度立ち止まりたい。

 でも、それが難しいーー



  ★良い事をしていると、思っている時ほど

  ☆誰かの為に頑張っていると、思っている時ほど

  ★正しい側にいると、思っている時ほど



 ーー人は、自分を疑わなくなる。






 ここに、空気の怖さがあります。

 
 空気は、人を、悪人にするのではない。

 空気は、人を「自分は、正しい事をしている。」と思わせたまま、間違った方向へ進ませる事がある。



 だから、私達に必要なのは「悪い人を、見つける」事ではないのかもしれない。

 私達に必要なのは「自分の中にある、小さな正しさを疑う」事なのかもしれないーー。




  ☆「私は、本当に正しいのか?」

  ★「私は、間違っていないと思っていないか?」

  ☆「私は、正しいと間違っているの、二者択一になっていないか?」



 ーーその問いとともに、生きる事。




 それが空気に飲み込まれない為の、方法なのかもしれない。

 1番怖いのは、悪い事をしている人ではない。


 「自分は、良いことをしている。」

 そう信じている人なのかも、しれない。