父親になる途中の人たちへー送迎の朝に見える現代の父親たちの戸惑いー
ーー保育園の送迎の朝。
ママたちは、輪になる。
パパたちは、点になる。
誰かと誰かを結ぶ線が増えていく場所で、パパたちは少し離れた所に立っている。
パパたちは、どこか無表情だ。
不機嫌なわけではない。挨拶もする。話しかければ返事も返ってくる。
それでも、なぜか関係は始まらない。
まるで橋は架かっているのに、誰も渡ろうとしないように。
もしかしたら男性は「関係」から入るよりも「役割」から入る生き物なのかもしれないーー。
♦送迎の朝にいる、無口なパパたちへ
保育園の送迎の朝。
ママ同士は、自然と会話が生まれます。
子どもの話をきっかけに笑顔が広がり、関係が少しずつ育っていきます。
一方でパパ同士は、挨拶はするものの、どこか無表情で、それ以上の会話にならない事が多いです。
この違いを観察していると、男性と女性では、人との繋がり方そのものが少し違うのではないかと思うのです。
ーーもしかしたら男性は「関係」から入るよりも「役割」から入る生き物なのかもしれない。
仕事では、何をする人か。
チームでは、どんな役目か。
そこが見えると、男性は安心して話せるのかもしれない。
けれど送迎の場には、肩書はない。役割もない。
あるのは、ただ「父親」であることだけ。
実は、それが1番難しいのかもしれない。
仕事なら、答えがある。成果もある。評価もある。
けれど、父親であることには、正解がないーー。
ー男性は、関係から入るのではない。役割を共にする中で、関係を育てていくー
多くのパパは、送迎を「タスク」として捉えやすい傾向がありますーー。
★子どもを、安全に送り届ける
☆時間に、間に合わせる
★子どもを送り届けて、仕事に向かう
ーーという目的達成型になりやすく、挨拶はしてもそれ以上の会話を広げる必要性を感じていない人が、多いのかもしれません。
これに対し、ママはーー
☆子どもの様子を共有する
★周囲との関係を作る
☆情報交換をする
ーーという「関係維持」の側面を重視する傾向がある為、自然と会話が広がりやすくなります。
時代が変わり少しずつ変わってきてはいますが、男性は幼少期からーー
☆弱さや感情をあまり表現しない
★要件を簡潔に伝える
ーー事を求められる場面が、多い傾向にあります。
その為ーー
★「何を話したらいいか、わからない」
☆「話しかける理由がない」
ーー等を感じると、無表情に見えたり、会話が止まりやすくなります。
その一方女性は、感情や日常の出来事を共有するコミュニケーションを経験する機会が比較的多く、会話が自然に生まれやすい傾向にあります。
ーー父親であることには、正解がない。
何を話せば、いいのか。どこまで関われば、いいのか。
どんな父親が、いい父親なのか。
多くのパパは、その答えを探しながら、立っている。
だから、無表情に見えることがある。
それは、自信のなさなのかもしれない。戸惑いかもしれない。
あるいは、父親という役割を懸命に引き受けようとする姿なのかもしれないーー。
ー良い父親とは、正解を知っている人ではない。正解のない問いを重ねながら、今日も子どもの隣に立ち続ける人であるー
特にインターナショナル保育園では、パパの中にはーー
★英語への苦手意識
☆保育園文化への距離感
★知り合いの少なさ
ーーを感じている人も、多いです。
その為、会社では積極的に話せる人でも、保育園では「何となく居場所がない」と感じ、必要最低限のコミュニケーションになる事が多いです。
また、送迎時の様子を観察していると、ママはーー
☆「今日は、何したの?」
★「お友達と、遊んだ?」
☆「先生に、バイバイした?」
等と、子どもと会話を通じて、関係を作っていく事が多いです。
一方パパはーー
★手を繋ぐ
☆荷物を持つ
★子どもを見守る
ーー等、言葉より行動で、子どもと関係を作っていく事が多いです。
これは愛情が少ないわけではなく、表現方法が違うという側面があります。
ーー子どもたちは、そんなことは知らない。
ただ「パパ、見て」と笑う。
そして、その一言でさっきまで無表情だった顔が、少しだけ崩れる。
結局のところ、送迎の朝にいるパパたちは、人との繋がり方がわからないわけではないのかもしれない。
子どもを通して、新しい自分との付き合い方を、学んでいる途中なのかもしれないーー。
ー子どもが「パパ、見て」と呼ぶ度に、1人の男性は、少しずつ父親になっていくー
現代を生きるパパは、特殊な位置にいます。
現代を生きるパパが子どもだった時、パパは「仕事」ママは「子育て」と、役割分担が明確でした。
それこそ、パパが送迎をする事自体が、とても珍しい事でした。
しかし現代は「育児にも積極的に参加する父親」が、普通の世界です。
ところが、そのモデルを、自分の父親から学んでいない人も、多い世代なのです。
パパとしてどう振る舞えばいいのかの正解を持っていない、否、知らないのです。
だから送迎でもーー
★積極的に話すのも違う気がする
☆無言も感じが悪い気がする
ーーという中途半端な立ち位置にいる事が、あります。
無表情に見えるパパの中には、不機嫌なのではなく「どう関わればいいのか、わからない」という人も少なくありません。
ーーそもそもそこに立っていること自体が、子育てに関わろうとしている証なのではないだろうか。
忙しい朝に時間を作り、子どもの荷物を持ち、手を繋ぎ、保育園まで送り届ける。
それは、特別なことではない。
けれど、決して当たり前のことでもない。
パパであることは、特別な1日で証明されるものではない。
運動会の日でも、発表会の日でもなく、むしろ誰も見ていない朝の積み重ねの中にある。
眠そうな、子どもの手を引くこと。
忘れ物がないか、確認すること。
保育園の門で「頑張って」と、見送ること。
その一つ一つは、小さい。
小さすぎて、本人ですら、その価値に気付いていないのかもしれない。
それでも、パパという存在は、そうした名もない時間の中で、少しずつ子どもの世界に根を張っていく。
だから私は、無表情なパパを見ると、関心の無さではなく、不器用な参加の仕方を見ている気がしてしまうーー。