物語に、人生が追いつく2ー「いつか」から「今日」へー

 


 ーー子どもの頃、いつか「何者かに、なる」と、思っていた。

 強く、なって。夢を、叶えて。若しかしたら、世界を救ったりして。



 でも、大人になると、わかる。

 人生は、そんなにわかりやすくない、と。



 努力しても、届かない場所がある。夢を、諦める日がある。たぶん世界を、救う日は訪れない。

 誰にも気づかれないまま、1日を終える日が、ほとんどだーー。






  ー子どもの頃、親は強いものだと、思っていた。大人になった今、親もまた、怖さを抱えながら、強くあろうとしていたのだと、知るー


 物語には、いつも「大きな、何か」が、あったーー。


   ☆夢を、叶える

   ★強大な、悪を倒す

   ☆成長し、大切な人と大切な場所を守る


 ーーそして、自分が何者なのかを、知ること。

『ライオンキング』は、そんな王道の物語です。




 子どもの頃の私は、シンバを観ていましたーー。


   ☆父親の、背中を追いかけて

   ★父親のように、なりたいと願って


 ーーそして、少年から青年、大人になったシンバが、故郷に戻っていく姿を観ていました。

 1人の子どもが、大人に、王になっていく。



 けれど、大人になった今、もう1度この物語を観ると、違うものが、見えてくる。

 シンバではなく、ムファサ。


 子どもの頃の私には、ムファサは「強い、父親」でしたーー。


   ☆強くて

   ★なんでも、知っていて

   ☆なにからも、守ってくれて


 ーー迷うことなく、いつも正しい場所にいる。

 けれど、今は、思う。本当に、そうだったのか?と。



 きっと、ムファサ(父親)も、怖かったーー。


   ☆子どもが、自分の知らない場所に行くことが

   ★自分の手の届かない場所で、傷つくことが


 ーーそして、いつか自分のもとから、離れていくことが。






 ーーそれでも、朝は来る。



 子どもを、保育園に送る。仕事へ、行く。

 いつもと変わらない、仕事をする。子どもの、寝顔を見る。



 そして、また明日になる。

 それを「何も、なかった1日」と、呼ぶのか。



 それとも「今日も、生きた1日」と、呼ぶのか。

 子どもの頃の私は、王になる、物語が好きだった。



 否、今でもどこかで、まだ王になる、物語の途中にいると、思っている節もある。

 ただ今の私は、王になれなかった人たちが、それでも紡いでいる物語を、少し好きになっているーー。







 

  ー人生を重ねるほど、物語の「結末」は遠くなり、そこへ辿り着くまでの「時間」が、近くなるー




 子どもの頃は、親は「守って、くれる」人でした。

 大人になった今は、親もまた「守りたいと思いながら、迷い、選び、歩いていた」のだと、気づきます。



 親は、矛盾した願いを抱えて生きています。子どもにーー。



   ☆行って、ほしい

   ★でも、行かないでほしい


   ☆自分で、決めてほしい

   ★でも、間違えないでほしい


   ☆自由に、なってほしい

   ★でも、失わないでほしい



 ーー子どもの頃、親というものは「強い、存在」だと、思っていました。




 でも、大人になって、わかった。

 強かった、のではない。怖くても、親だったのだ、とーー。



  ☆子どもの前では、怖い顔を見せない

  ★迷っていても、迷っていないように見せる

  ☆わからなくても、わかっているように話す



 ーーそれが、親なのかもしれない。




 だから今私は、ムファサを観ると「強い、父親」には、見えません。

 寧ろ、子どもの未来を、自分の未来より優先して考えていた、1人の父親に見える。






 子どもの頃は、王になることが、大切だった。

 大人になった今は、王になるまでに、何を失ったのかが、気になる。



 子どもの頃は、故郷へ戻ることが「幸せ」だと、思っていた。

 大人になった今は、故郷へ戻ることより、故郷へ戻るまでに、どれだけ遠くまで行けたのかが、気になる。



 子どもの頃は、物語の「答え」を、見ていた。

 大人になった今は、答えに辿り着くまでに、置いてきたものが、気になる。





 人は、人生を重ねるほどに、物語の結末ではなく、物語の途中を観るようになる。

 だからといって『ライオンキング』が、子どもの物語で、なくなったわけではない。


 人生を重ねてきたから、見える物語になった。








 ーー大きな、夢がなくてもいい。誰かに、選ばれなくてもいい。

 世界を、救わなくてもいい。



 ただ、今日を終える。

 それだけのことが、子どもの頃に思っていた以上に、難しいことを知る。




 だから何者かになれなかったとしても、それが人生でなかったというわけではない。

 むしろ何者でもない自分のまま、生きてきた時間こそが、いつの間にか、自分の人生になっているーー。







  ー昔は「いつか」を、生きるために物語を観ていた。今は「今日」を生きるために物語を観ているー



 そんな事を考えていた時、私の頭の中に流れてきたのは『ちいかわ』だった。

 私達が、子どもの頃から観ていた物語には「何者かに、なる」という事が、今よりずっと大きく描かれていましたーー。



    ☆王に、なる

    ★夢を、叶える

    ☆世界を、救う



 ーー自分の人生には「大きな、意味がある。」自分が「生まれてきた、意味とは?」そんな物語だった。




 でも今、私の隣で『ライオンキング』を観ている子どもが観ている世界は、違いますーー。



   ☆国を、取り戻すわけではない

   ★世界を、救うわけでもない

   ☆特別な、存在になるわけでもない



 ーーただ、今日を生きる。





 今は「大きくならなくても、生きている」ことが、物語になっているーー。



  ☆昔の物語には「使命」が、あった

  ★今の物語には「日常」が、ある


  ☆昔の主人公は「明日」を目指して歩いていた

  ★今の主人公は「今日」を失わないように歩く



 ーーどちらが、正しいという、話ではありません。

 ただ、時代が変われば、人が「物語」と呼びたくなるものも、変わっていく。



 『ライオンキング』を観ながら、私は、昔の物語を観ていた。

 そして同時に、今の子どもたちが、生きている世界を、少しだけ観ていた。


 子どもの頃は「何者かに、なりたい。」と、思っていた。

 大人になった今は「今日を、ちゃんと生きる」ことの難しさを、知っている。




 だから、物語も変わったのかもしれない。


 「王に、なる物語」から「今日を、生きる物語」へ。

 「大きな夢を、追いかける物語」から「小さな幸せを、守る物語」へ。



 そして、そんな時代に生きる子どもが、大人が、今、夢中になっている物語がある。

 その物語とは『ちいかわ』。




 この続きは、また明日。