ーー子どもの頃、いつか「何者かに、なる」と、思っていた。
強く、なって。夢を、叶えて。若しかしたら、世界を救ったりして。
でも、大人になると、わかる。
人生は、そんなにわかりやすくない、と。
努力しても、届かない場所がある。夢を、諦める日がある。たぶん世界を、救う日は訪れない。
誰にも気づかれないまま、1日を終える日が、ほとんどだーー。
ー子どもの頃、親は強いものだと、思っていた。大人になった今、親もまた、怖さを抱えながら、強くあろうとしていたのだと、知るー
物語には、いつも「大きな、何か」が、あったーー。
☆夢を、叶える
★強大な、悪を倒す
☆成長し、大切な人と大切な場所を守る
ーーそして、自分が何者なのかを、知ること。
『ライオンキング』は、そんな王道の物語です。
子どもの頃の私は、シンバを観ていましたーー。
☆父親の、背中を追いかけて
★父親のように、なりたいと願って
ーーそして、少年から青年、大人になったシンバが、故郷に戻っていく姿を観ていました。
1人の子どもが、大人に、王になっていく。
けれど、大人になった今、もう1度この物語を観ると、違うものが、見えてくる。
シンバではなく、ムファサ。
子どもの頃の私には、ムファサは「強い、父親」でしたーー。
☆強くて
★なんでも、知っていて
☆なにからも、守ってくれて
ーー迷うことなく、いつも正しい場所にいる。
けれど、今は、思う。本当に、そうだったのか?と。
きっと、ムファサ(父親)も、怖かったーー。
☆子どもが、自分の知らない場所に行くことが
★自分の手の届かない場所で、傷つくことが
ーーそして、いつか自分のもとから、離れていくことが。
ーーそれでも、朝は来る。
子どもを、保育園に送る。仕事へ、行く。
いつもと変わらない、仕事をする。子どもの、寝顔を見る。
そして、また明日になる。
それを「何も、なかった1日」と、呼ぶのか。
それとも「今日も、生きた1日」と、呼ぶのか。
子どもの頃の私は、王になる、物語が好きだった。
否、今でもどこかで、まだ王になる、物語の途中にいると、思っている節もある。
ただ今の私は、王になれなかった人たちが、それでも紡いでいる物語を、少し好きになっているーー。
ー人生を重ねるほど、物語の「結末」は遠くなり、そこへ辿り着くまでの「時間」が、近くなるー
子どもの頃は、親は「守って、くれる」人でした。
大人になった今は、親もまた「守りたいと思いながら、迷い、選び、歩いていた」のだと、気づきます。
親は、矛盾した願いを抱えて生きています。子どもにーー。
☆行って、ほしい
★でも、行かないでほしい
☆自分で、決めてほしい
★でも、間違えないでほしい
☆自由に、なってほしい
★でも、失わないでほしい
ーー子どもの頃、親というものは「強い、存在」だと、思っていました。
でも、大人になって、わかった。
強かった、のではない。怖くても、親だったのだ、とーー。
☆子どもの前では、怖い顔を見せない
★迷っていても、迷っていないように見せる
☆わからなくても、わかっているように話す
ーーそれが、親なのかもしれない。
だから今私は、ムファサを観ると「強い、父親」には、見えません。
寧ろ、子どもの未来を、自分の未来より優先して考えていた、1人の父親に見える。
子どもの頃は、王になることが、大切だった。
大人になった今は、王になるまでに、何を失ったのかが、気になる。
子どもの頃は、故郷へ戻ることが「幸せ」だと、思っていた。
大人になった今は、故郷へ戻ることより、故郷へ戻るまでに、どれだけ遠くまで行けたのかが、気になる。
子どもの頃は、物語の「答え」を、見ていた。
大人になった今は、答えに辿り着くまでに、置いてきたものが、気になる。
人は、人生を重ねるほどに、物語の結末ではなく、物語の途中を観るようになる。
だからといって『ライオンキング』が、子どもの物語で、なくなったわけではない。
人生を重ねてきたから、見える物語になった。
ーー大きな、夢がなくてもいい。誰かに、選ばれなくてもいい。
世界を、救わなくてもいい。
ただ、今日を終える。
それだけのことが、子どもの頃に思っていた以上に、難しいことを知る。
だから何者かになれなかったとしても、それが人生でなかったというわけではない。
むしろ何者でもない自分のまま、生きてきた時間こそが、いつの間にか、自分の人生になっているーー。
ー昔は「いつか」を、生きるために物語を観ていた。今は「今日」を生きるために物語を観ているー
そんな事を考えていた時、私の頭の中に流れてきたのは『ちいかわ』だった。
私達が、子どもの頃から観ていた物語には「何者かに、なる」という事が、今よりずっと大きく描かれていましたーー。
☆王に、なる
★夢を、叶える
☆世界を、救う
ーー自分の人生には「大きな、意味がある。」自分が「生まれてきた、意味とは?」そんな物語だった。
でも今、私の隣で『ライオンキング』を観ている子どもが観ている世界は、違いますーー。
☆国を、取り戻すわけではない
★世界を、救うわけでもない
☆特別な、存在になるわけでもない
ーーただ、今日を生きる。
今は「大きくならなくても、生きている」ことが、物語になっているーー。
☆昔の物語には「使命」が、あった
★今の物語には「日常」が、ある
☆昔の主人公は「明日」を目指して歩いていた
★今の主人公は「今日」を失わないように歩く
ーーどちらが、正しいという、話ではありません。
ただ、時代が変われば、人が「物語」と呼びたくなるものも、変わっていく。
『ライオンキング』を観ながら、私は、昔の物語を観ていた。
そして同時に、今の子どもたちが、生きている世界を、少しだけ観ていた。
子どもの頃は「何者かに、なりたい。」と、思っていた。
大人になった今は「今日を、ちゃんと生きる」ことの難しさを、知っている。
だから、物語も変わったのかもしれない。
「王に、なる物語」から「今日を、生きる物語」へ。
「大きな夢を、追いかける物語」から「小さな幸せを、守る物語」へ。
そして、そんな時代に生きる子どもが、大人が、今、夢中になっている物語がある。
その物語とは『ちいかわ』。
この続きは、また明日。