発見の真の航海とは、新しい風景を探すことではなく、新しい目を持つことであるー岩手3、親が渡せるのは未来ではなく、未来へ続く景色ー
ーーそれは、今日の旅の記憶ではない。
もっと曖昧で、もっと小さなもの。
子どもの頃に、何度も「知らない世界」を見たという、身体の奥に残った感覚。
「世界は、ここだけではない。」
その感覚さえ残っていれば、人は、知らない場所へ歩いていける。
だから、子どもの頃に、いろいろな場所を旅することは、思い出を増やすことではないのかもしれない。
自分の中に、世界の余白を、残しておくことなのかもしれないーー。
ー「知らない世界」を、1度だけ見ておく。それだけで、未来の君に、もう1つの景色が残るー
子どもの頃に見た景色を、大人になって、思い出す。
その時に初めて、昔の自分と、今の自分が、繋がりますーー。
☆「あの日、パパと歩いた場所。」
★「あの時は、何もわからなかったけど。」
☆「あの頃の私は、こんな景色を見ていたんだ。」
ーーそうやって過去が、現在の自分の中に、戻ってきます。
人生とは、未来へ進んでいく事だけではありません。
時々、過去が戻ってきて、現在の自分に新しい意味を、与えてくれます。
だから私は、急がなくてもいいと、思っている。子どもにーー
☆何かを、身につけさせることを
★何かを、わからせることを
ーー今日、身につかなくてもいい。今日、わからなくてもいい。
ただ、1度出逢っておくーー。
☆その場所に、立っておく
★その景色を、見ておく
☆その空気を、吸っておく
ーーいつか「あの景色を、知っている。」という事が、ほんの少しだけ、子どもの未来を広げてくれるかもしれないから。
ーー家と学校だけだった世界に、知らない街が加わる。
いつもの季節の中に、遠い土地の季節が加わる。
自分たちとは違う暮らしを知り、自分たちとは違う歴史に触れる。
すると「普通」という言葉が、少しずつ薄くなっていく。
自分が知っているものだけが、世界の全てではない。
自分が当たり前だと思っていることも、誰かにとっては、当たり前ではない。
そのことを教科書ではなく、自分の足で知っておく。
それはもう、旅行の思い出ではない。
いつの間にか、娘自身の世界の一部になっているーー。
ー親は、子どもの未来を照らせない。ただ、いつか子ども自身が未来を照らすための、景色を残すことはできるー
親が、子どもに渡せるものには、限りがありますーー。
☆お金も
★知識も
☆環境も
ーーいつかは、子どもの手を離れていく。
けれど「1度見た世界」は、子どもの中から、完全には消えません。
それが、いつか別の何かと出逢った時に、小さな基準となります。
「自分は、こう思う。」だけではなく「でも、違う世界もある。」と、思える。
その「でも」があるだけで、人生が、1つの答えに閉じなくなる。
私は、娘に「世界は、自分が今見えているものだけではない。」事を、知っておいてほしい。
苦しい時「ここだけが、世界じゃない。」と、思えるように。
迷った時「まだ、知らない場所がある。」と、思えるように。
誰かと違った時「違う、世界もある。」と、思えるように。
その為に、今日も私は、娘を連れて歩く。
今日、娘と歩いた道は、いつか娘だけの道になります。
今日、私が渡した景色は、いつか娘自身の景色になります。
そして、今日私が蒔いた種は、いつか、娘が自分の手で、育てるものになります。
だから私は、まだ小さな娘の手を握って歩くーー。
☆未来を、教えるためではない
★未来を、決めるためでもない
ーーただ、いつか娘が振り返るようになる景色を、今、一緒に歩く為に。
いつか、その手を離す日まで。
そして、私が手を離した後も、娘の中に残った小さな景色たちが、娘の人生を照らす、小さな灯りになってくれたらいい。
親が、出来る事とは、それくらいの事なのかもしれません。
でも、それくらいの事が、子どもが見る事が出来る景色を、広げてくれます。