経済力と美意識は、同じではないーインターナショナル保育園の、ママたちー





 ーー人は、何にお金を使ってきたかで、少しずつ姿が、変わっていくのかもしれない。

 高価な服を着ているから、という話ではない。




 髪を、整えること。肌を、手入れすること。

 姿勢を、少しだけ伸ばすこと。急いでいても、声を荒げないこと。


 そして、自分自身を、雑に扱わないこと。




 そういう小さなものが積み重なって、いつの間にか、その人の「雰囲気」になるーー。








  ー人は使ったお金より、積み重ねた時間に、似てくるー




 娘がインターナショナル保育園に通うようになり、いくつかの園を見たり、色々な家庭のママを見る機会が、増えました。

 昨年と今年で、ママ達の雰囲気が、違う。


 昨年は「ちゃんと、しているママ」が、多い印象でした。

 「ちゃんと、している」とは、美人という意味とは、少し違います。顔の造形の話ではなくーー


  
    ☆服装が、きれい

    ★髪が、整っている

    ☆肌にも、清潔感がある



 ーーそして、見た目だけではなくーー



   ☆話し方が、落ち着いている

   ★声が、大きくない

   ☆立ち姿や、所作がきれい



 ーーつまり、全体として「上品に、見える。」

 私の主観ですが、昨年は、こういうママが多いなという、印象でした。





 私は「年間200万円以上子どもの教育にお金を掛けられる家庭のママは、ママ自身もきれいにしている人が多い。」という、仮設を立てていました。

 実際、外見的な魅力と、社会的な地位や所得には、一定の関連性があるという研究も、複数あります。



 たとえば、スコットランドの一般人口を、20年間追跡調査した研究。

 その研究ではーー



  ☆15歳時点で、魅力的だと評価された人ほど

   →36歳時点での社会的な地位・所得が高い



 ーーという結果が、出ています。

 これは、親の社会経済的背景や教育、知能、健康等を考慮しても、外見的魅力により、社会的な地位や所得が高くなったと、結論づけられています。





 勿論、これはお金持ち=美人という、話ではありません。

 ただ、服装・髪・肌・表情・姿勢・身のこなし・コミュニケーションまで含めた「ちゃんとしている」には、経済的な余裕や育ってきた環境、文化的な価値観等が、影響しています。









 ーー品って、いったいどこからくるのだろう?



 生まれ育った、家なのか。お金、なのか。

 教育、なのか。長い時間を掛けて作られた、習慣なのか。




 たぶん、どれか1つだけではない。

 だから同じように豊かな暮らしをしていても、その豊かさの現れ方は、人によって違うーー。








  ー人は、何を持っているのかではなく、何に心を配って生きてきたのかで、変わってくるー




 ところが、今年になって、少し様子が変わりました。

 今年から入ってきたママたちを見るとーー



   ★ノーメイク

   ☆服装は、カジュアル

   ★髪や肌にも、あまり手をかけていない感じ



 ーーそして、見た目だけではなくーー



   ★声が、大きい

   ☆話の間に、割って入ってくる

   ★自分の話が、中心



 ーー勿論、それが悪いという話ではない。全員が、そうだという話でもない。





 ただ、昨年のママ達と比べると、明らかに雰囲気が、違う。

 ここで、私の仮説が、少し崩れました。


 「教育にお金を掛けられる=ママも上品」では、ない。

 年間200万円や300万円を子どもの教育に懸けられる家庭でも、自分の美容には興味がない、というママもいる。



 逆も、ある。

 子どもの教育費より、自分の美容や洋服、旅行、食事に、お金を使う家庭もあります。









 ーー経済力と、美意識は、同じものではない。

 ただ、自分をどう扱うかという習慣は、少しずつ、その人の外側にも現れる。



 そしてたぶん、私たちは思っている以上に、そういう小さなものを見ている。



 一瞬の、表情。服の、選び方。座るときの、姿勢。

 人の話を聞くときの、顔。子どもに声をかけるときの、声。



 「なんとなく、この人、素敵だな。」

 この「なんとなく」の正体は、案外、長い年月をかけて、その人が選んできたものなのかもしれないーー。








  ー品は、身につけるものではなく、積み重ねるものー

 


 私は「上品さ」は、細かい所に出ると、考えています。

 私が思う「上品なママ」とは、ブランドバッグを持っている人では、ありません。寧ろ、そういうわかりやすいものではなくーー



   ☆髪が、きれい

   ★肌が、整っている

   ☆服が、その人に合っている



 ーーそして、見た目だけではなくーー



   ☆声が、大きすぎない

   ★人との距離感が、自然

   ☆会話の、キャッチボールができる



 ーーこういう小さな「ちゃんと、している」の、積み重ね。





 これは、お金だけでは作れないもの。

 時間が、必要。習慣が、必要。「ちゃんと、している」にするという感覚が、家庭にないと出来ないもの。


 社会学でいう「文化資本」とは、こういう事なのだと、思う。








 ーー鏡に映っているのは、今日の私だけではない。


 これまでの私が選んできたものが、少しずつ、顔や服や姿勢や空気になって、そこにいるのかもしれないーー。







  ー子どもが育つ環境は、園の教育方針だけではない。そこにいるママたちの価値観も、環境になるー



 同じように年間200万円の教育費を支払えてもーー



  ☆子どもの教育にはお金をかけるけど、自分は別にいい

  ★子どもの教育も大切だけど、自分もきれいでいる



 ーーというママもいる。ただ、去年の「上品なママが多かった。」という、私の分析も間違いではないと思う。

 また、昨年までの私の仮説が偏見だったのかというと、それも違うと思う。



 見た目や身だしなみと、社会経済的背景に、一定の関連があるという事は、複数の研究に裏付けられている。

 だから、裕福な家庭に「ちゃんと、している人」が多いという仮説自体は、間違っていない。





 ただし「裕福だから、上品」なのではない。

 経済的な余裕に加えて、教育・美意識・育った環境等が組み合わさると、上品に見えるという結果になりやすい。




 
 昨年までの私は「お金がある家庭のママは、上品。」だと、思っていました。

 今年の私は「お金がある家庭にも、上品に見える事に価値を置くママと、上品に見える事に価値を置かないママ」がいると、思っている。



 このように考えると、子どもの教育環境とは、園の教育方針だけではなく、そこに集まるママの価値観そのものが、1つの環境なのだと思う。

 子どもがどんな教育を受けるのかだけではなく「どういう子達と、一緒に育つのか。」という事も、大きいのかもしれない。