違いをなくせば、管理はできる。違いを受け入れてこそ、教育になる
ーーおもちゃが、消えた。
そこにあったのは、ただのおもちゃではない。
その子が夢中になっている世界への、小さな入口だったのかもしれない。
お土産が、消えた。
そこにあったのは、ただのお菓子ではない。
その子が出逢った世界への、小さな案内状だったのかもしれないーー。
♦小さな世界が、消えていく時
あるインターナショナル保育園の方針について、今年に入ってから気になる変化がありましたーー。
★おもちゃの持ち込みが禁止されー
☆旅行先で買ってきたお土産にも慎重な対応が求められー
ーーもちろん、園の運営や、子ども同士のトラブル防止を考えれば、理解出来る部分は多いです。
しかし、その変化に触れる度、私はある問いを抱くようになりました。
それは「違いを受け入れる事」と「管理する事」のバランスについてです。
私が、インターナショナル保育園に魅力を感じたのは、英語教育だけではありません。
寧ろ、国籍や文化、価値観の違いを自然に受け入れながら育つ環境にこそ、魅力を感じていました。
だからこそ、ルールが増えていく姿を見ながら、教育とは何を守り、何を育てる営みなのかを、改めて考えさせられています。
ーー違いは、時に面倒だ。
説明が、必要になる。
調整が、必要になる。
時には、ぶつかり合う。
だから大人は、違いをなくそうとする。
みんな同じなら、安心だから。みんな同じなら、管理しやすいから。
けれど、違いは本来、解決すべき問題ではなかったはずだ。
違いとは、知らない世界への扉であり、自分を広げる機会であり、誰かを理解する入口だったはずだ。
教育とは、その扉を閉じることではなく、その扉を開く勇気を育てることなのかもしれないーー。
ー旅の終わりとは、帰宅ではない。体験を誰かと分かち合った時に、旅は完成するー
旅行とは、移動する事ではありませんーー。
☆知らない景色に出会い
★知らない文化に触れ
☆知らない価値観を知る
ーーそして、子どもにとってのお土産は、買ってきたそのものではありませんーー。
☆「ここに、行ったんだよ」
★「こんなのが、あったんだよ」
☆「みんなにも、見せたいんだ」
ーーそんな体験の続きを、誰かと分かち合う為の、小さな橋です。
だから、私は、お土産を渡す事も、旅行の一部だと思っています。
そこには、自慢ではなく、共有したい気持ちがある。
喜んでほしい気持ちがある。
自分が見た世界を、伝えたい気持ちがある。
もちろん、大人には管理や公平性という視点が必要です。
けれど子どもの世界では、お土産1つが、遠い国や遠い街への興味になり、友達への思いやりになり「違う世界がある」という発見になります。
教育とは、何かを教える事ではない。
教育とは、体験を意味のあるものに変えていく事である。
そうであるなら、お土産は単なる「物」ではありません。
お土産は、子どもが世界と出逢った証であり、その世界を誰かと分かち合おうとする小さな表現なのかもしれません。
ーー多様性という言葉は、美しい。
しかし実際の多様性は、決してきれいなものではない。
面倒で、非効率で、時には不公平にも見える。
だから大人は、多様性よりも、均一性を好む。
その方が、管理しやすいからだ。
だが、本当に豊かな社会とは、違いがない社会ではないはずだ。
本当に豊かな社会とは、違いがあっても共に生きられる社会のはずだ。
私は、教育とは、その練習をする場所だと思っているーー。
ー違いをなくせば、管理はできる。違いを受け入れてこそ、教育になるー
教育の目的が「問題を起こさない子」を育てる事なら、ルールは増えていきます。
教育の目的が「異なる他者と生きられる子」を育てる事なら、必要なのは管理だけではありません。
教育の目的が「異なる他者と生きられる子」を育てる事なら、必要なのは違いと向き合う経験そのものですーー。
★違いをなくせば、争いは減る
→でも同時に、理解する力も育たなくなる
☆違いを残せば、摩擦は増える
→でも同時に、摩擦の中でしか育たない力もある
教育とは、この面倒さを引き受ける営みではないでしょうか?
私は、インターナショナル保育園が、好きです。
先生達が、子どもを大切にしている事も、知っています。
だからこそ、願ってしまう。
管理の為のルールが必要であっても、その先にある「違いを受け入れる」という理念だけは、失わないでほしい。
私が、子ども達に学んでほしいのは、英語ではありません。
世界には、自分とは違う人がいる。
そして、その違いは恐れるものではなく、知ろうするするものだという事。
その感覚こそが、これからの時代を生きていく為の、本当の国際教育なのだと思います。
ーールールは、秩序を作る。管理は、安全を守る。
それも、大切なことだ。
しかし、守ることばかりに夢中になると、いつの間にか、育てることを忘れてしまう。
子どもたちが、これから生きていく世界は「みんな同じ」の世界ではない。
違う人と出逢い、違う考えに戸惑い、違う価値観と共に生きていく世界だ。
だから、願う。
違いをなくすための教育ではなく、違いを抱えながら生きるための教育を。
管理の先にあるものが、均一さではなく理解であることを。
そして、子どもたちが学ぶのが英語だけではなく「世界には、自分とは違う誰かがいる」という当たり前で、最も大切な事実であることをーー。