「紙の本を読みなよ。電子書籍は、味気ない。本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある。」
「調子の悪い時に本の内容が、入ってこないことがある。そういう時は、何が読書の邪魔をしているか考える。調子が悪い時でも、スラスラと内容が入ってくる本もある。なぜ、そうなのか考える。」
「精神的な調律、チューニングみたいなものかな?調律する際、大事なのは、紙に指で触れている感覚や、本をペラペラめくった時、瞬間的に脳の神経を刺激するものだ。」
『PSYCHO-PASSサイコパス』槙島の言葉です。
♦言葉は、ただの記号ではない。名前のない感情に形を与え、触れられるものへ変えるための、小さな光である
不安は「強いから扱いにくい」のではありません。
不安は「曖昧なまま放置されるから扱いにくい」のです。
人は、自分の内側にあるものに名前がつかないと、それを1つの塊として受け取ります。
その塊は輪郭がなく、どこからどこまでが問題なのかもわかりません。
だからこそ、過剰に大きく感じ、飲み込まれてしまうのです。
ここで役に立つのが、語彙です。
感情に言葉を与える事で「何となく不安」は「評価への恐れ」や「結果への焦り」等といった複数の要素に分解されます。
この時起きているのが「情動ラベリング」というプロセスです。
感情に名前を与えた瞬間、それは「あなたそのもの」ではなく「観察できる対象」に変わります。
「曖昧だった内面」が「操作可能な情報」へと変わった時に、ようやく人は、そこに対して「どう扱うのか」を選択出来るようになります。
ーー子どもの心には、まだ地図がない。
何か出来事が起こる度に、胸の奥に波のようなものが立ち上がる。
けれどその波に、名前はまだない。
その波はただ大きく、ただ曖昧に、子どもを揺らす。
名前のない感情は、広がる。
どこまでが悲しみで、どこからが悔しさなのかもわからないまま、ひとつの塊になって子どもを揺らす。
そして、溢れる。
泣く、怒る、黙るという形でーー。
ー感情は、消えない。ただ名前を持つことで、居場所を見つけるー
子どもの感情が扱いにくくなる要因は「感情そのものの強さ」ではなく「言語化されていない」事にあります。
子どもは、出来事をきっかけに不安や怒り等の未分化な感情を抱きます。
しかし、それを適切に表現出来る言葉が十分でない為、感情が分解されず、1つの塊として残りやすいです。
この状態では、感情を内省的に処理する事は、出来ません。
その為、泣く・怒る・黙る等といった行動的反応として表出されます。
☽子どもの感情処理の構造
前提:語彙が不足している状態では、感情は未分化のまま扱われる
♧語彙が不足している場合
出来事→未分化な感情→感情が塊のまま残る→圧倒される→行動化(泣く・怒る等)
ーーその時、大人の言葉は、子どもの地図になる。
「それは、悔しかったのかもしれないね。」
「ちょっと、怖かったのかな?」
「うまくいかなくて、もやもやした?」
ひとつ、またひとつと名前が与えられるたびに、塊だった感情は、少しずつほどけていく。
輪郭が生まれ、触れられるものに変わっていく。
これが「情動ラベリング」という見えない整理の営み。
やがて、子どもは気づいていく。
「感じているものを、見つめることができる」と。
そして、ただ飲み込まれるだけだった感情の中に、小さな選択が生まれる。
伝えること、待つこと、離れること。
語彙は、飾りではない。
子どもが自分の心に迷わないための、最初の地図であるーー。
ー親の言葉は、子どもの心に地図を描く。まだ名前のない気持ちに、帰り道を作るー
大人が関わる事で、未分化な感情→言語化(悔しい・怖い・恥ずかしい等)という変換が起きます。
これが「情動ラベリング」のプロセスです。
さらに、言語化された感情は、分解されます。
★何が不安なのか
☆誰との関係なのか
★今の問題なのか、未来の予測なのか
抽象的な塊が、具体的な要素へと変わっていきます。
すると、子どもの中で、感情=自分→感情=観察できる対象へと、感情への距離が生まれます。
この距離が生まれた時、初めて、伝える・待つ・離れる等の選択が可能になります。
♧大人が語彙を提供した場合
出来事→未分化な感情→言語化→分解→距離→選択
ー親の語彙は、言葉ではなく、心の地図として子どもの中で生き続けるー
語彙の役割とは、感情を「塊」から「構造」に変える事。
そして、内面を「反応」から「選択可能な状態」に変える事。
親の語彙は、そのまま子どもに手渡されます。
だから、親が言葉を持つ事は、子どもが自分の感情を扱う力を持つ事に直結します。
読書とは自分の為だけではなく、誰かの感情に寄り添う為の準備でもあるのです。