人は、自分が守られた形でしか他者を守れないー0~6歳で決まる戻れる自己肯定感




 ーー人は、立ち上がれる人を強いと言う。

 すぐに切り替えられる人。失敗しても落ち込まない人。何事もなかったかのように前を向く人。



 けれど、本当に強い人とは、倒れた自分を追い出さない人だと思う。

 うまくいかなかった日。否定された日。期待に応えられなかった日。

 そんな日に、自分から自分を切り離さないこと。



 自己肯定感とは、成功の上に咲く花ではない。

 自己肯定感とは、失敗の後にも残る根のことであるーー。





 

  ♦人生を支えるのは、高い自己肯定感ではなく、崩れない自己肯定感である


 

 「インターナショナル保育園=英語が話せるようになる」という理解は、表面的な理解です。

 

 インターナショナル保育園の本質的な価値は、非認知能力が育ちやすい環境にあります。

 

  ※非認知能力:自己制御・自己肯定感・実行機能・やり抜く力・レジリエンス等、テストでは図る事の出来ない能力

 

 

 

 非認知能力は「生きる力の基盤」となる力。

 

 特に、0~6歳の段階は、非認知能力の土台が形成される臨界期にあります。

 

  ※臨界期:ある刺激が与えられた時に、その効果が最もよく現れる限られた時期

 

 

 つまり、非認知能力の臨界期にある0~6歳の時、どのような環境の中で育つのかが、その後の人生を決めると言っても過言ではないのです。

 今日は、そんな非認知能力の1つ。自己肯定感の話。






 

  ー自己肯定感は、増やすものではない。失わずに戻れる場所を育てることであるー

 

 

 「自己肯定感の量ではなく、構造が違う」とは、強い/弱い、高い/低いという数値の話ではありません。

 

 「自己肯定感の量ではなく、構造が違う」とは、自己肯定感が何により支えられているのかという話です。

 

 

 多くの人が考える自己肯定感とは、水位になっています。

 

 

   ★褒められる→水位が上がる

 

   ☆失敗する→水位が下がる

 

 

 しかし、この考えは、自己肯定感の本質ではありません。

 

 自己肯定感の本質は、水位を支える地盤にあります。

 

 

 

 

 多くの人が「自信」「前向き」「ポジティブ」等と自己肯定感を認識していますが、自己肯定感の本質は、ここではありません。

 

 自己肯定感の本質とは「不安になっても戻ってこられる場所が、心の中にあるか」です。

 

 

   ★失敗する

 

   ☆否定される

 

   ★認められない

 

 

 大切なのは、上記のような状態になった時に「自分を守れる安全基地が自分の内側にあるか」が、自己肯定感の本質であり、自己肯定感の土台です。


 自己肯定感の本質とは、自分を好きでいられる力ではありません。

 自己肯定感の本質とは、自分を好きでいられない日でも、自分を見捨てない力の事です。






 ーー褒められなくても、認められなくても。誰かに選ばれなくても。

 それでも、自分の中に、席が1つ残っていること。


 そこには、何もできない自分も座れる。泣いている自分も座れる。黙ったままの自分も座れる。

 人は、その席があるから、また歩くことができる。


 倒れた場所に、そのまま居ていいと思えること。

 その静かな許しが、人生を長く支えていくーー。


 


 

   ♦人は、自分が許された条件でしか、他者を許すことができない

 

 

 

  ー人は認められて自分を信じるのではない。見捨てられなかった記憶で自分を信じるー

 

 

    ★皆と同じなら、OK

 

    ☆ちゃんと話せたら、OK

 

    ★空気が読めたら、OK

 

 

 日本のような単一文化・単一環境の中で育つ子どもは、無意識に脳の中に、上記のような配線が組み込まれます。

 

 これは「条件付き承認」です。

 

 

 一見問題なさそうに見えますが、自己肯定感の土台としては、非常に脆いです。

 

 何故なら「条件を満たさない自分は、ここにいてはいけない」という恐れを深層心理に残すからです。

 

 

 

   ☆言葉が通じない

 

   ★行動様式が違う

 

   ☆文化的にズレる

 

 

 インターナショナル保育園に通う子ども、否、インターナショナル保育園に限らず違いが排除理由にならない環境で育った子どもは、上記のような状態が日常であり、それでも生活は続いていきます。

 

 そのような環境で0~6歳の非認知能力の臨界期にある時期を過ごすと「上手く出来なくても、関係は切れない」という配線を脳に組み込む事が出来ます。

 

 

 これが「無条件承認」です。


 

 



 ーー人は、自分が育った場所の空気を、そのまま心の中に住まわせている。

 自分の気持ちを表現できなかった家。皆と一緒が正解だった場所。間違えないことが褒められた時間。



 幼い頃に吸い込んだ空気は、大人になっても、言葉の奥に残り続ける。

 「ちゃんとしなさい。」

 その声が外から消えたとしても、いつしか自分の声になっている。

 そして、その声で、今度は他者を見てしまう。



 自分の気持ちを表現する人に苛立つ。空気を読まない人を責める。失敗した人に厳しくなる。

 それは、性格の問題でも、意地悪だからでもない。

 自分も、そうやって存在を許されてきたからだーー。


 




  ー人は、安心してから世界を考えられる。恐れながらでは、自分を守るだけで精一杯になるー

 

 安心が先・判断は後という順序が、自己肯定感の土台を作ります。

 

 

  ★比較・評価が強い環境

 

   偏桃体(不安・恐怖)が優位→正解を探す脳に

 

 

  ☆多様性が前提の環境

 

   前頭前野(調整・意味づけ)が育つ→考えて選ぶ脳に

 

 

 

 安心が先。判断は後。

 

 この順序を逆転させない事が、強い自己肯定感の土台を作る鍵です。

 

 

 日本人が「その人の存在そのものをリスペクト」という世界の当たり前の価値観を、本当の意味で理解出来なかったり、体現出来ない理由も、ここにあります。

 

 

 

 

 

  ー自己肯定感の土台が崩れなければ、何にでも、何度でも挑戦出来るー

 

 

   ★失敗=排除のきっかけ

 

   ☆ミス=危険

 

 

 条件付き承認の環境では、上記のような脳の配線回路になります。

 

 

 

   ☆失敗=情報

 

   ★ミス=違い

 

 

 無条件付き承認の環境では、上記のような脳の配線回路になります。

 

 

 

 この違いが、もたらすものは、非常に大きいです。

 

 

   ☆挑戦出来る

 

   ★回復出来る

 

   ☆折れない

 

 

 これらの強さを作るのは、性格や学力等ではなく、0~6歳の非認知能力の臨界期に多様性耐性が自然に身につく環境にいたか否かの差なのです。


 



 ーー幼い頃、世界はまだ大きすぎて、子どもは、自分ひとりで意味を作れない。

 だから、周囲の反応を、そのまま真実にしていく。


 笑われたことは恥になる。急かされたことは恐れになる。置いていかれたことは孤独になる。

 そうして、心の奥に、1つの前提が生まれる。

 このままでは、ここにいられないーと。



 けれど、違いが当たり前の環境で育った子どもは、別の前提を知る。

 話せなくても。伝わらなくても、少し変でも。

 それでも遊びは始まり、昼になれば笑い声が聞こえ、夕方にはまた迎えがくる。


 世界が続いていく。

 その経験は、言葉より先に、身体に届くーー。






  ー違いが追放にならない場所で育つ子どもは、自分を守るためではなく、自分を生きられるー

 

 

 多様性耐性が自然に身につく環境で育った子どもは、自我が安全の上に存在します。

 

 

   ★認められる為に、頑張る

 

   ☆間違えないように、生きる

 

   ★他人と同じように、生きる

 

 

 条件付き承認の環境で育つと、自我が不安の上に成り立つようになります。

 

 不安の上に成り立った自我は、非常に脆く、壊れやすいです。

 

 

 

   ☆自分を基準に、考える

 

   ★駄目でも、戻れる場所がある

 

   ☆合わない時は、調整出来る

 

 

 無条件付き承認の環境で育つと、自我が安全の上に成り立つようになります。

 

 安全の上に成り立った自我は、静かに強く、壊れにくいです。






 ーー人は、強いから挑戦するのではない。

 失敗しても、帰る場所があるから、挑戦できる。


 自我とは、能力の上に立つものではない。

 自我とは、安全の上に立つ。


 安心を知った子どもだけが、本当の意味で、世界を恐れずに進むことができる。

 そして人は、自分が守られた形でしか、他者を守ることができないーー。